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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

男女間における相補性(Complementarity)とは何ですか?

 

 John Piper and Wayne Grudem, 50 Crucial Questions About Manhood and Womanhood | Desiring God, 2016

 

はじめに

相補性について(Complementarity) 

本書で取り扱っているのは、聖書に基づき、いかにして男性と女性が互いに関わり合うべきかというテーマです。

 

特に、家庭および教会においての男女の関係について私たちは懸念しています。私たちは、男女間の相補的な(=競合ではなく互いに補う合う)相違を肯定し、そういった相違の中で、いかにして男女がもっとも満ち足りた方法で互いに関わり合っていくことができるのかを考察しています。

 

ラリー・クラブ(Larry Crabb)氏が「相違を楽しむ」という表現を使いつつ、男女のあり方について次のように言っています。

 

「男女という両性は、それらが根源的な意味において『与えるべく』造られているということにおいて、そして、関係性の中にあって最大の喜びをそれぞれにもたらすという点において、互いに異なっているのです。」1

 

チャック・コルソン氏が、現代文化に蔓延するジェンダー融合の破壊的傾向について嘆いておられますが、私たちもそれに共鳴する者です。彼は次のように記しています。

 

「神は男性と女性という、二つの互いに異なる種の人間を、お造りになりました。そして人類育成のため、それぞれに異なる役割と能力をお与えになったのです。」

 

例えば、女性レポーターが、男性用更衣室に入ることを要求したり、同性愛の男性が、乳児を養子にとり、授乳用のブラジャーを使用したり、また、女性看吏が、男性囚人たちのボディーチェックをしたり、あるいは人気ロックスターたちが性的相違を逆転させるようなことをしたりするとき、コルソン氏の言うように、「それは、神の創造の基本的真理を攻撃するものです」と私たちも同意します。2

 

だからこそ、私たちは自分たちのことを「相補主義クリスチャン(complementarians)」と呼んでいるのです。

 

男性像および女性像に対する私たちのビジョンは、――神が創造のはじめに人をご自身にかたちに創造されたとき、私たちの喜びのためにデザインされた男女の相補的な違いについての美しいリアリティー、これに対する情熱に起因しています。

 

ですから、私たちの立場をひと言で言い表すなら、「コンプリメンタリアン(complementarian):相補主義」ということになり、またそう呼ばれることを私たちは望んでいます。

 

と言いますのも、この語には、「本質的な意味における男女の平等」および、「役割における有益な相違性」という二つの真理が内包されているからです。

 

「伝統主義者」という語がありますが、私たちはこの語に含まれるニュアンス、つまり――聖書が伝統的な行動パターンに対峙した際に、それを進んで受け入れようとしない態度――を好んでおりません。

 

また「ヒエラルキー主義者」という語に対しては、これを断じて拒否します。というのも、ヒエラルキー主義者たちは、構造化された権威を過度に強調する一方、「本質における男女の平等」および互いに補完し合う、相互依拠の美しさについては、これらにいかなる提案もしていないからです。

 

  1. Larry Crabb, Men and Women, Enjoying the Difference (Grand Rapids,MI: Zondervan, 1991), 174.
  1. Charles W. Colson, “What Can Gender Blending Render?” World 5 (March 2, 1991): 11.