巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

聖書的女性像(Biblical womanhood)を求めて

剥がされた神秘ーーなぜカトリック女性のベール不着用により「パンドラの箱」が開かれてしまうのかについて

「キリストの実在ーー。それゆえに私たちはベールを被ります。」カトリック・サイトVeils by Lilyより 目次 はじめに シンボル観 祈りのベールを実践し始め、自分の内に起された変化 対等主義から相補主義への移行 バプテスマやユーカリストにおける「シンボ…

主人を「出迎える」ーー生活の中のリトルジーと韻律

出典 カルヴァン大学哲学科のジェームズ・K・A・スミス教授は、私たちが生来的にリトルジカルで典礼的存在であると言い、次のように述べています。

クリスチャン女性と「受容の心」について

19世紀後半のスコットランド人伝道者オズワルド・チェンバーズが著作の中で、自分の妻ガートルードのことに触れ、「これほどまでに受容的かつ従順で、自分を信頼してくれる妻が傍にいてくれるおかげで私は生涯を通しどれほど助けられてきたか分からない」…

父と娘

出典 目次 日本のお父さんたちは「ぬりかべ」?! 父親を求め、父親の力強い愛を求めて彷徨う日本の女性たち 「あなたにとってお父さんとはどんな人ですか?」(高校生ケイガンさんへのインタビュー、2015年) たとえ実の父親に捨てられてもーーシングル…

教団教派を「選ぶ」ことについて

出典 目次 選びか導きか 留学中の思い出 セクト主義/教派主義 パラドックス それではどこの教団教派を選べばいいのだろう? 神によって立てられた権威に信頼することによって得られる助け おわりに

アーミッシュな気分で朝を迎える幸せ

アーミッシュのこどもたち(出典) 私の友人で、インディアナ州のアーミッシュ村に住むレベッカさんが、手作りケープドレスをプレゼントしてくれました。

「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」ーーエープリル・カスィディ姉の奮闘記【総集編】

出典 目次 はじめにーーエープリル・カスィディ姉妹について 「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」 「ああ、主人がもっと私と一緒に祈ってくれたらいいのに、、、」 私たち姉妹の「Ministry」の…

女性であることの意味ーーエリザベス・エリオット

女性であることが何を意味するのかを学ぶためには、まず、私を創造してくださった神を知ることから始めなければならない。 -Elizabeth Elliot 目次 男らしさ、女らしさについて 恭順とは息苦しいこと? 主よ、私を真の女性とさせてください

女性というbeingへの召しーー「個」の信仰から「共同体」としての信仰へのひろがりという展望のなかで

静穏(出典) 目次 「ミニストリー」 私は ‟浮いている” のかな? Being(あり方)への召し 共同体としての信仰へのひろがりの中で 余白の美

男性が男性らしくあれるように――強靭な男らしさのためのスペース造りと女性たちの配慮(by レスリー・ルディー)

目次 男らしすぎるのはアウト? 世俗文化による思想教育 メトロ男性像とは何か? キリストの模範 おわりに

『共通祈禱(Common Prayer)』それとも筋書き通りの政治?(by カール・R・トゥルーマン、ウェストミンスター神学校歴史神学)【米国聖公会とジェンダー包括語問題】

「現時点ですでに人々は、『人間』に関するジェンダー用語を勝手に書き変える大胆不敵さを持っているのですから、今後は『神』に関するジェンダー用語さえも書き変えていくーーそういう大胆不敵さをも近い将来、発揮していくことになるのではないでしょうか…

教会政治とジェンダー論ーー女性教職を認めるべきか?(ウェイン・グルーデム著『組織神学』第47章)後篇【さまざまな反論に対する応答】

困ったなぁ~。どうしよう。 目次 はじめに 反論の実例 ①「ジェンダーではなく賜物によってミニストリーは決定されるべきです。」 ②「神様が女性である私を真実に牧師に召してくださいました。」 ③「新約聖書はしもべとしてのリーダーシップを重んじています…

教会政治とジェンダー論ーー女性教職を認めるべきか?(ウェイン・グルーデム著『組織神学』第47章)前篇

ウェイン・グルーデム(1948~)過去20年間に渡り、イリノイ州にあるトリニティー神学校で教鞭を取った後、現フェニックス神学校教授。ハーバード大(B.A.)、ウェストミンスター神学校(M.Div.)、ケンブリッジ大(Ph.D.)1998-1999年にかけ、Evangel…

イスラーム伝道、女性、ジェンダー論ーー新世代の中東女性たちへの愛の働きかけとキリスト教弁証

出典 目次 楽しい語らい 存在論から三位一体論へ おわりにーー寄り添い、一緒に歩いていく

どんなに世が変わり、諸教会の教えが変わっても。ーー居場所を失いつつあるわが兄弟たちに捧げる詞

出典 どんなに世が変わり、 諸教会の教えが変わっても、 私は、わが兄弟たちと共に 古(いにしえ)のかしら像を見上げ そこにとどまり続けたいと思う。

あなたはあなたの体以上の大切な存在。ーー若い女性のみなさんへ(by アンナ・S)【こころと体と服】

出典 Anna S, My Modest Clothes-My Armour by Beautiful Womanhood.org(全訳) これは私の個人的な証しです。私はシングル・マザーの家庭に生まれました。父親は一度も姿を現したことがなく、もちろん経済的に助けてもくれなかったので、母は残業して家計…

かしらの聖域

アトス山、シモノペトラ修道院、13世紀創設(出典) 目次 アトス山修道院群 ウラノポリにて 男のかしらはキリスト、女のかしらは男、そしてキリストのかしらは神 天的/地上的かしらの聖域 おわりにーー全てはつながっている

クリスチャン女性のつつましやかさについて

慎(つつ)ましやかさというのは、英語ではreservednessと表現されることが多いようです。

Liturgicalな空間が映し出す美しい男女の役割ーー世俗ジェンダー文化への〈対抗文化造形〉としてのキリスト教礼拝

こういった光景は、教会の子どもたちの目にどのように映っているのだろう?(出典) 目次 子どもたちを「造形」する世俗ジェンダー教育と現代教会の迎合 一つの時代の幕切れ

〔ちょっと息抜きに。。〕祈りのベールを始めたいけれどきっかけがつかめない方、いらっしゃい♡

目次 はじめに まずは家の中で始めてみましょう! 美 クリエイティブに楽しく

愛しい主人の帰りを待ちわびつつ一人過ごす時間にーーアン・ブラッドストリートの信仰詩【17世紀ニューイングランド】

アン・ブラッドストリート(1612-1672)。英国の裕福な清教徒家庭に生まれる。サイモン・ブラッドストリート氏と結婚した後、船で新大陸へ。それまでの比較的快適な生活から一転して厳しい荒野での生活が始まる。食糧難や病気、8人の子の子育て、…

随想

私たちが住んでいる地区はあまり治安がよくありません。そのため、私は、日没後、主人の同行なしに一人で外に出ることはほとんどなく、また昼間でも、主人がいない時には、ブザーの音がしても基本的に戸は開けず、インターホンで応対しています。

「混沌」から「より明瞭」な方向へ羊を導いてくれる聖書教師

目次 はじめに 1.立場や前提やリソース元をごまかさず、率直に明かしてくれる教師 2.解釈の「なぜ」に共に取り組んでくれる教師

一人静(ひとりしずか)

出典 一人静 樵夫の道も絶えにけり 谷 迪子 ひとりしずか(一人静;吉野静;まゆはき草)は、低山地や傾斜面の木陰などに咲くセンリョウ科の多年草の花です。上の俳句からは、もはや樵(きこり)の道さえなく、辺り一面しーんと静まり返った森の空気が伝わっ…

小さい道

かしら性の門をくぐったら 思いがけず そこにこじんまりした中庭がありました。

マルクス主義/フェミニズムとキリスト教世界観(by ヴェルン・ポイスレス、ウェストミンスター神学校)

1920年7月、第2回コミンテルン大会(ペトログラードにて) 目次 マルクス主義とフェミニズム 贖罪プログラムに関し、彼らが提示しているもの 偽造化(Counterfeiting) マルクス主義者およびフェミニストの聖書批評 非人格主義的世界観(Impersonalisti…

中東フェミニズムとキリスト教会

ブルカを着用して外を歩くアフガン女性たち(情報源) 目次 はじめに ①セキュラー/イスラムの文脈 ②福音主義の文脈

思ひ出

小学校3年か4年生の頃だったと思います。ある日曜の午後、私は父に「ねぇお父さん、資本主義と共産主義は、どっちがいいのけ?」と訊いてみました。 すると父は「う~ん、そうだねぇ、どっちがいいのか、、、う~ん」としばらく黙りこくっていましたが、や…

真の女性らしさの開花とその喜びーー祈りのベールの証し集〔総集編〕

目次 姉妹たちの証し ① ヴィアン・エリザベス姉妹(ルーテル教会、ノルウェー) ② エリザベス・ワイザー姉妹(インターナショナル教会、イスラエル/米国) ③ アンジェラ・デッカー姉妹(ブラザレン系教会、カナダ) ④ アリソン・チャップマン姉妹(ペンテコ…

神を礼拝することと、妻であることについて

「恭しい(うやうやしい)」という美しい日本語があります。これは元々、礼(うや)を重ねて形容詞化した語であり、「相手を敬い、礼儀正しく丁寧である」という意味を持っています(大辞泉)。