巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神観・人間観・世界観・歴史観

私の辿ってきた道ーーマーク・マックニール師の信仰行程

目次 若き日のペンテコステ運動との出会い ワンネス・ペンテコステ派 様態論的な神理解 ワンネス派のバイブル・カレッジに進学 教父文書との出会い アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に移籍する 実存的チャレンジを受ける さらなる危機ーー聖書正典の形成…

舌による聖体拝領ーー人間疎外の問題に対する神の愛なる御応答と永遠の智慧

ジャコメッティの作品に登場する人間像。互いに疎外されており、観察者からも疎外されている。(出典) 初めてカトリック教会(東方典礼)で聖体拝領の光景をみた時の驚きと感動を私は生涯忘れることができないと思います。

ジョーダン・ピーターソンとサム・ハリスの対談をきいて(by ロバート・バロン司教)

ジョーダン・ピーターソン(左)とサム・ハリス(右)出典 目次 ピーターソンとハリス ハリスの宗教批判 二つの極端 ピーターソンの宗教観 現代におけるカント的アプローチの復興 おわりに

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その5】改宗の過程に伴うさまざまな困難と苦しみ

【その1】【その2】【その3】【その4】からの続きです。 「ある意味において改宗とは殉教の一形態である。それには、ーー肉体、精神、知性、キリストへの信仰という自己の明け渡しが伴う。またそれは従順性および、真理へと導かれていくことに対する自発…

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その2】英国国教会に通い始める

【その1】からの続きです。 出典 目次 英国国教会に通い始める 機能的グノーシス主義("functional Gnosticism") アングリカン主義のジレンマに気づく

私の辿ってきた道ーーアンドリュー・プレスラー師の信仰行程【その3】

【その1】【その2】からの続きです。 英国国教会(アングロ・カトリック)出典 目次 はじめての教会訪問 アングロ・カトリックの視点でみた教会観を知る 公同性に関するアングロ・カトリシズム自身の基準が分枝論を排除してしまわないだろうか? 「唯一の…

宇宙的典礼と神の示現ーー聖なる神(♪Ἅγιος ὁ Θεός)【トリサギオン】

『至聖三者』(アンドレイ・ルブリョフによるイコン)出典 「キリスト教礼拝の音楽は三重の意味でロゴスに関係します。キリストにおいて人となったみことば、ロゴスは、個々に意味を与える力ではなく、また単に歴史に意味を与える力でもありません。 そうで…

存在論の深みへーー祝福され尊いお方、乙女マリア(♪ Benedicta et venerabilis)【ゴシック詠唱、初期オルガヌム期/ノートル・ダム楽派】

ノートルダム大聖堂のステンドグラス(出典)

天と地の帳(とばり)が裂け、永遠が時間の中に出現した。

御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。(黙5:12) 天と地の帳(とばり)が裂け、 永遠が時間の中に出現した。

『グローバル性革命ー自由という名における自由の破壊』ガブリエラ・クビー女史へのインタビュー(by アルヴィノ・M・ファンティーニ記者)【カトリック・ワールド・レポート紙】

カトリック社会学者ガブリエラ・クビー女史(写真右)出典 目次 『グローバル性革命ー自由という名における自由の破壊』ガブリエラ・クビー女史へのインタビュー【カトリック・ワールド・レポート、アルヴィノ・M・ファンティーニ記者】 ジョグジャカルタ原…

セオトコスーー真の自由への導針(by ヨルゴス・カプサニス掌院、アトス山修道士)

アトス山(Ἅγιον Ὄρος)修道院群 ヨルゴス・カプサニス掌院(写真右)。アトス山グレゴリウー修道院元院長。2014年召天。出典

ユーカリストの本質ーーミサの犠牲的性質に対するプロテスタント諸反論について(by ローレンス・ファインゴールド、ケンリック・グレンノン神学校)【その5】

目次 ④「ミサの犠牲はカルバリーから私たちの注意を逸らす」という反論について 回答1ーー御父は私たちの参与(participation)を望んでおられる 代償(substitution)と、参与(participation)それぞれの見方について 回答2ーー人間の状況 回答3ーー「…

古典的カトリシズムにおける従来の「自然法理解」は浸食されつつあるのだろうか?【キリスト教倫理と自然法】

Pope Francis wears a rainbow pectoral cross(2018年10月17日、青年大会にて*1) 倫理諸問題を巡り、ここ数十年、次から次にキリスト諸教派、諸教会の要塞が陥落し、倫理的大惨事が引き起こされている根本原因の一つは、(プロテスタンティズムだ…

ルターと自然法(by ティモシー・ゴードン)

Dr. Timothy Gordon, Ph.L., J.D., M.A. 目次 はじめにーー主意主義をめぐるカトリシズムとプロテスタンティズムの世界観の違い ルターは人間自由の擁護者なのだろうか? そもそも「プロテスタント自然法」というものは存在するのか否か ルター、唯名論、主…

キリストの栄光あるからだとしての教会と宇宙(by オリヴィエ・クレマン、パリ聖セルギイ正教神学院)

終末論的な舟を象徴する聖堂の中央(中堂)は、ドームでおおわれている。このドームは、新たな創造、キリストによって創造主と結び付いた宇宙をあらわしている。(出典) 目次 著者について キリストの栄光あるからだーー真の再創造 正教会の宇宙論 神のエネ…

宇宙的典礼と人生の意味ーー東方教父聖マクシモスが遺した霊的遺産(7世紀)

「聖書のもつ謎やシンボルの意味は、神のことば(Λόγος)が受肉したという神秘のうちに全て含まれている。そればかりではない。知覚しうる限りの、可視的/不可視的被造物に隠されている意味も、この受肉という神秘のうちに含まれている。十字架や墓の神秘を…

兄弟たちよ。われわれの歳月は永久的なものだろうか?(by アウグスティヌス、4世紀)

兄弟たちよ。われわれの歳月は永久的なものだろうか?いや、それらは日に日にすべり去っていっているではないか。かつてそこにあったものは、もうない。来たらんとするものは未だここに有らず。前者は過ぎ去り、後者はやって来るも、また己の時に消え去って…

典礼ーー「神の王国」の体験(by オリヴィエ・クレマン、パリ聖セルギイ正教神学院)

出典 目次 著者について 典礼ーー「神の王国」の体験 イコン イコンのキリスト論的な意味 永遠の像 聖堂の装飾とその象徴的意味 「心のうちの修道生活」

私の辿ってきた道ーーレイ・ライランド師の信仰行程

Fr. Ray Ryland (1921-2014) 目次 はじめに ディサイプル教会と「回復運動」 ハーバード神学校でユニタリアン主義にはまり込む 歴史的連続性を求めて 聖公会司祭になる 東方正教会への転向を検討し始める もう選択肢がない 【補足】ローマ・カトリック教会と…

無神論ーーキリスト教的創造信仰の一つの変形

「ガリレオは、有名なことばを残しました。神は二つの書物を書いた、その一つは言うまでもなく聖書である。もう一つは自然そのものだ、というのです。自然という神の書かれた書物を、一ページ一ページ読んでいくことがいかに信仰にとっても大切なことと考え…

神の摂理的導きと教会の悪ーークリスチャンにはいかなる回答が可能なのか?

「現在、多くの宗教は、妙に愛想のいいバザール商人のごとく、なれなれしい媚び笑いと開かれた両手でわれわれの前にやって来ている。彼らは、市場でやるように互に競い合いつつ、盛んに慰めやら連帯やら励ましやらを提供しようとしている。しかしその昔彼ら…

受肉の神秘ーー現代に語りかけるトマス・アクィナス

「私の神よ、私があなたを忘れても、あなたは私を忘れないでください。私があなたを見捨てても、あなたは私を見捨てないでください。私があなたから離れても、あなたは私から離れないでください。私が逃げだしても呼びもどし、反抗しても引き寄せ、倒れても…

「正統性」について(by G・K・チェスタートン)

G.K. Chesterton (1874-1936) G.K. Chesterton, The Paradoxes of Christianity(抄訳) 人々は〈正統性〉をなにか、重々しく、単調で、安全なものであるかのように語るという愚習に陥ってしまっている。しかし、〈正統性〉ほど、危険多く且つエキサイティン…

ソリ・デオ・グロリア(「ただ神にのみ栄光」)に関する省察(by ジョナサン・ディーン)

Jonathan Deane, A Salient Moment – Reflection on Soli Deo Gloria, 2009(拙訳) ジョナサン・ディーン。カリフォルニアのカルバリー・チャペルでイエス・キリストを信じる。その後、ディスペンセーション主義神学に対する疑問が生じ、カルバリー・チャペ…

遺物、聖人、そしてマリアの被昇天について(by デイビッド・アンダーズ)

“The Assumption of the Most Holy Mother of God”(Pietro Cavallini作) 目次 遺物、聖人、マリア崇敬に対するマイナス感情 最初のパンチ 一筋縄ではいかない 聖人や遺物は実は聖書的だということに気づく なぜユダヤ人たちはこのような事を信じ実践してい…

エフェソス公会議(431)及びカルケドン公会議(451)について(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

431年に開催されたエフェソス公会議(出典) 目次 全地公会議に対するプロテスタントとカトリックそれぞれの捉え方 エフェソス公会議 告白者マクシモス

「恩寵と自由意志」という問題におけるトマス・アクィナスの立場について

トマス・アクィナス(1225-1274) 山本芳久著『トマス・アクィナスーー理性と神秘』(岩波書店)より一部抜粋(強調はブログ管理人によります。) 目次 「宗教改革」という補助線 ペラギウスの立場 トマスの立場ーー恩寵と自由意志との協働 トマス…

変形された伝統ーーアウグスティヌスのローマ書解釈について(by デイビッド・ベントリー・ハート)

聖アウグスティヌス(354-430)

私の辿ってきた道ーーデイビッド・アンダーズ師の信仰行程

David Anders 目次 生い立ち 教会 「人を救うのは信仰であり、行ないではない」 大学入学後ふたたび信仰が息をふき返す ホイートン大学にて トリニティー神学校へ 宗教改革史を専門にすることに決意 博士課程スタートーー「信仰のみによる義認」の教理研究に…

西に向かおうか東に向かおうか?ーーローマ行きを検討している福音主義者への書簡(by クラーク・カールトン、東方正教会)

あれ、なんで道が二つに分かれてるんだろ?(出典) 目次 増加する福音主義出身の改宗者たち 正教と民族性重視主義(Ethnicism) 皇帝教皇主義(Caesaropapism)