巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

創造 VS 文化的解釈

1コリント11章「祈りのベール」問答②:髪の長さと、自然と、同性愛

①からの続きです。 Jeremy Gardiner, Are Appropriate Hair Lengths Dictated by Culture? Φύσις (Phusis)=自然 「自然」を定義する ある言葉を定義する際、その用語を使っている著者自身、その語について、なんらかの定義をしているのかを調べてみること…

1コリント11章「祈りのベール」問答①:適切な髪の長さは、「自然」ではなく、「文化」によって規定されるのでしょうか?

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載) Jeremy Gardiner, Are Appropriate Hair Lengths Dictated by Culture? 反論:適切な髪の長さは、「自然(nature)」によって規定されるのではなく、「文化」によって規定されるのです。ネイティブ・アメリ…

「1テモテ2:12-15でパウロが創造に訴えているのは今日性を持ち得ません。なぜなら、創造に関する創世記の記述自体、文化的に相対的であり得るからです」という主張はどうでしょうか。

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8 これはウィリアム・ウェブによって提唱されている説です。彼は創世記1-2章の記述を取り上げた上で、次のような主旨のことを言っています。 「堕落前のアダムのリーダーシップに訴える…

祈りのベールーーその深さ、美しさ、そして喜び!

実際に食べてみなければ分からない味というのがあり、 行って見てみなければ分からない絶景というのがあり、 信じてみなければ分からない信仰の至福というのがあるように、 実践してみなければ分からない・・・・ それが祈りのベールであり、奥ゆきあるその…

「当時のコリント文化では女性が被り物をかぶるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そういった状況は地域的なものだったので、祈りのベールは今日の私たちには必要ないのです。」という主張はどうでしょうか。

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載) (執筆者:ジェレミー・ガーディナー) 反論:「パウロが生きていた当時、売春婦は髪を短くし、かぶり物も着けていませんでした。当時のコリント文化では女性がかぶり物を着けるのが慣習だったので、そうし…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ③:自然(nature, φυσις)

愛する読者のみなさんへ。掲載する本記事は、同性愛の是非をめぐる今日のジェンダー議論にも深く関わっている非常に重要な論稿です。下の記事とも併せて注意深くお読みください。 Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #3 Nature 長い髪は、男女間の…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ②:御使いゆえ("because of the angels")

↑は、「御使いのゆえにも」教会の姉妹たちは、被り物を実践しなければならないと説くマーティン・ロイドジョーンズの説教clip。 (自ブログ「地の果てまで福音を」から再掲載) Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #2: Angels 『御使いたちのため…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ①:創造の秩序

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載) Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #1: Creation Order 「、、、ここで最も驚くべきことは、パウロが、コリントのことではなく、創造のことに論拠を求めていることだ。何であれ、地域的習慣を超…

「夫に対する妻の恭順の掟は、新約期、『伝道目的』のために出されていたものです。しかし今日ではそういった目的はもはや有効性を持っていません。ですから、妻は夫に従う必要はないのです。」という主張はどうでしょうか。

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 6 ウィリアム・ウェブは、次のように言っています。 ――ペテロは、「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものと…

「イエスが男性たちだけを12使徒に任命されたのは、当時の文化的拘束ゆえです。」という主張はどうでしょうか。

Wayne Gruden, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 5 対等主義者側の主張: イエスが男性たちだけを使徒に任命したのは、ただ単に当時の文化に譲歩したためです。しかしそれは今日の私たちの文化には当てはまらないものです。

「創世記1-3章によれば、男性のかしら性(male headship)というのは、人類が堕落する以前には存在していませんでした。ですから、これは罪がもたらした負の産物です。」という主張はどうでしょうか。【後篇】

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 3 (前篇からのつづきです。) 回答2. 抑圧的な男性支配というのが堕落以前には存在していなかったというのは真です。しかし、結婚の中における男性のかしら性(male headship)および固…

神は《男性》でしょうか?ー現代のジェンダー戦争

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載) Kyle Pope, Is God Male?, Ancient Road Publications™ 新聞『カンザス・シティ・スター』はある特集欄で、某教派の牧師およびユダヤ教のラビに対し、次のような問いを出していました。 「私たちは神のこと…

「1テモテ2:12の正しい訳は、『私は、女が教えたり、自分こそが《男の起源である》と宣言したりすることを許しません』です。」―この主張はどうでしょうか?【authenteoの意味】続編

(前の記事からの続きです。) ④ Authenteoの意味が「自らをなにかの起源、創始者、もしくは源であると表現することである」とし、クローガーは、その意味がさまざまな古い辞典に記載されていると次のように述べています。 「学者たちが古典古代の文献を、今…

「1テモテ2:12の正しい訳は、『私は、女が教えたり、自分こそが《男の起源である》と宣言したりすることを許しません』です。」―この主張はどうでしょうか?【authenteoの意味】

ある日本語サイトの説教録より一部引用させていただきます。対等主義の立場からの1テモテ2:12の解釈です。 「V11-15a 特定の女を指して、あの女に教えさせるな。 当時、間違った教えをする偽教師たちがはびこっていました。そして、その異端的な教えを…

「エバと同じように、当時エペソの女性も十分な教育を受けていませんでした。しかし今日の女性には男性と同等の教育があります。ですから、1テモテ2:11-15は今日の教会に一般化して適用されるべきではないのです」という主張はどうでしょうか。【その2】

(前の記事からのつづきです。) 椅子に座り、巻本(scroll)を読んでいる古代ギリシャ人女性。"Ancient Greek School; Did children go to school in ancient greece?"より(引用元) その他の諸資料が示すところによれば、ギリシャ文化のいわゆる「ヘレニ…

「エバと同じように、当時エペソの女性も十分な教育を受けていませんでした。しかし今日の女性には男性と同等の教育があります。ですから、1テモテ2:11-15は今日の教会に一般化して適用されるべきではないのです」という主張はどうでしょうか。

大学の授業風景。引用元 Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8 対等主義者側の主張: 1テモテ2:14から分かるのは、当時のエペソの女性たちと同様、エバもアダムより教育がなかったということです。しかし今日の女性は、男…

「当時のエペソの女性たちは偽りの教えを説いており、1テモテ2:12はその歴史的文脈で解釈されなければなりません。ですから、この聖句内容は、今日の教会に一般化して適用すべきではないのです。」という主張に対しての応答。【その5】

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8 回答4. もし偽りの教えを何人かの人が教えていたという事実をもって、その人たちの性別に属する全ての人を不適任とするのなら、とどのつまり、すべての男性は教える適性資格をはく奪さ…

被り物と聖書解釈(Head Covering and Hermeneutics)―R・C・スプロール著『Knowing Scripture』より

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載) 被り物と聖書解釈 Head Covering and Hermeneutics (An Excerpt from “Knowing Scripture” by R.C. Sproul) here R・C・スプロール 原則と慣習(PRINCIPLE AND CUSTOM) 「全ての聖句が原則であり、従ってあ…

創造の秩序 VS 文化的解釈――被り物と聖書解釈(R・C・スプロール)

もしパウロがコリントにいる女性に対しただ単に「被り物をしなさい」と言っただけで、そういった指示を出した根本的理由を説明していなかったのだとすれば、私たちはその理由を見出すべく、自分たちの「文化的知識」に頼らざるをえなかったかもしれません。 …

聖書の主要な教えを、「文化的に相対的なもの」として再解釈しようとする最近の傾向について――ロバート・W・ヤーブロー師の警告(カベナント神学校新約学教授)

Covenant Theological Seminary in St. Louis ロバート&キャサリン・クローガー著「I Suffer Not a Woman」の中で展開されている「グノーシス異端説」に関する書評を書いたロバート・ヤーブロー(Robert W. Yarbrough)は、このレビューの中で次のような警…

いかにして同性愛行為を「聖書的に」支持する方々は「被り物の聖句」を自らの立場の擁護のために用いているのでしょうか?

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載) How Gay Rights Advocates use Head Covering to Support their Position 執筆者:ジェレミー・ガーディナー師 「被り物を、ある特定の文化のためだけの慣習と解釈すること」の危険性について、今日、私はみ…

なぜ1コリント11章の「被り物(Head covering)」は、ユダヤ人の慣習ではなかったのか。

執筆者:ジェレミー・ガーディナー師(カナダ) 1コリント11章で、使徒パウロは、女性たちが祈りや預言をする際に、被り物(祈りのベール)をかぶるよう命じています。しかしこう言ったときに、まず来る反論というのが、「いいえ、パウロはあくまでその当…