巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

信じること、生きること、愛すること

「聖書を『素直に』読めば、、、」という表現について【自己反省とお詫び】

「聖書を『素直に』読めば、自然と○○という理解に至るんです。」(○○には、自分の支持する聖書解釈や主義名が入ります。) 私はこれまでどれだけ多くの場で、上記のようなフレーズを使ってきたことでしょう。しかし振り返ってみて今、私はその事を大いに恥…

クリスチャンであることの標(しるし)(by フランシス・A・シェーファー)

(自ブログ「地の果てまで福音を」より再掲載) 目次 序 この標とはなにか? 人と兄弟 微妙なバランス 真のクリスチャンのために 質の基準 愛における失敗 最後の弁証 正直な応答、目に見える形での愛 「一致」に対する誤った考え まことの一致 可視的な愛 …

彼は「越境」しなければならなかったのか?ーーカルバリー・チャペルから東方正教会への旅路【書評】

目次 はじめに 著者のセブンスデー・アドベンティスト時代 ファンダメンタリズムからカリスマ派へ 福音主義教会のカオスの中で 真理はモザイク状のものなのか? 「あなたに与えられている光」に真実に生きればそれでいい? 定義のない看板文字 彼は「越境」…

わが魂は悲しみ、絶望しています。(ウィリアム・クーパーの信仰詩)

わが魂は悲しみ、絶望しています。 主よ、見てください。わが敵どもが どんなにか大勢で押し寄せてきているかを。 彼らは恐ろしい破壊者(Apollyon)を頭に、 わが天路巡礼の路に立ちふさがり、攻め入ろうとしています。

聖書信仰のクリスチャンはチョムスキーの生成文法をどのように評価すべき?(by ヴェルン・ポイスレス)【大学生の皆さんへの応援記事 その2】

目次 訳者はしがき 構造言語学、アメリカに上陸 ノーム・チョムスキー、突如としてアメリカ言語学界をひっくり返す 日本語訳聖書にも影響しているチョムスキー理論 一極集中の人になろう チョムスキー革命 厳密さと形式化にともなう代価 核文と非核文との間…

永続性の根底にあるもの(山田昌)

「わが憐みなる神よ、御身を呼び求めたてまつる。あなたは私を造り、あなたを忘れていたときにも、その私をお忘れにならなかった。あなたを心のうちに招じ入れたてまつる。 心が熱望をもってあなたをお迎えするように、心を準備してくださるのはあなたである…

いかに読書すべきか(三木清)

目次(見出しは読みやすさを考え、管理人が任意に作成しました。) 1.読書の習慣を作ることの大切さ 2.技術としての読書 3.多読および濫読について 4.専門を有すこと 5.何を読むべきか 6.古典について 7.原典を読むことの大切さ 8.原書を読…

和らげられた風(by ジョン・マクダフ)

John MacDuff, The Wind Tempered, 1879(抄訳) 「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ。」(イザヤ28:12) 「主は東風の日に、ご自身の激しい風を抑えて〔restrains〕彼らを移しやられた。」(イザヤ27:8、英訳か…

神を知り、人を知るという営みについて

神を知り、人を知るという営みは〈自然的に〉為され得るものなのでしょうか。また、この現代社会の中で、神と人を〈自然的に〉知っていくことはそもそも可能なのでしょうか。そしてもしもそれが可能であるならば、それはどこで、どのようにして可能とされる…

「私の視点」と「もう一つの別の視点」ーーギリシャ正教会の国で生きる少数派プロテスタント教徒として

巨大な岩の上に建つメテオラ修道院群 2015年の国勢調査によると、ギリシャ共和国に占める正教徒(greek orthodox)の割合は90%です。ウィキの統計によると、ギリシャ国内の福音派は3万人、聖霊派も3万人位だとされていますので、全人口比(1080…

私がクリスチャンの教理論争史を愛しんでいる理由――Exclusive Psalmody Debateの事例から【キリスト礼拝の本質を考える】

私は、クリスチャンの教理論争史にとても興味があり、それらの文献を読むのが好きです。そして今日はみなさんに、私がなぜExclusive Psalmody Debate(礼拝時に詩篇歌だけを歌うべきか否かの論争)を愛しているのか、その理由をお分かち合いしたいと思います…

公正さ(fairness)についての省察――隣人をより良く知り、より深く愛していくために。

ゴスペルフラ現象についての記事でお話しましたように、私は先日、アメリカ人の宣教師の方から、現代英語のredeem「贖う」は、(聖書的・狭義の用法だけでなく)もっと広義な意味合いでも使われる動詞でもあるということを教わりました。 翻訳者として、これ…

ディスペンセーション主義者を理解する ⑬ ディスペンセーション主義の朋友との対話のために(by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大、新約学)

小見出し ディスペンセーション主義者との対話のために(STRATEGY FOR DIALOG WITH DISPENSATIONALISTS) 釈義の適切性(THE PERTINENCE OF EXEGESIS) 特定の神学的諸問題(PARTICULAR THEOLOGICAL ISSUES) Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispen…

ディスペンセーション主義者を理解する ⑫ いろいろな社会的要因(by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大 新約学)

小見出し ダーウィニズムへの対抗 主観性への恐れ 解釈学的省察 「気づいていないこと」に対する気づき 恵みのみによる救い 社会的諸要因に対する評価(EVALUATING SOCIAL FORCES) 変遷する世の中で 政治情勢の変化 解釈における確実性 ある体系の中にいる…

ディスペンセーション主義者を理解する ② 「ディスペンセーション主義者と非ディスペンセーション主義者が、互いの意見に耳を傾け合う」(by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大 新約学)

Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists,Westminster Theological Seminary, PA, summer, 1986, chapter 1 (目次はココです。) これまでディスペンセーション主義の正誤を明かそうと多くの著述がなされてきました。そういった弁証・反…

「聖書的」であることの意味について

「何かが『聖書的である』という時、それは一体どういう意味なのでしょう。私たちは『聖書的』という言葉を、記述的な意味(つまり、「聖書に見いだされるもの」)というよりも、「何を神様が望んでおられるか」という規範的な意味で使うことに慣れっこにな…

信仰と理性――キリスト教会に忍び寄るネオ・グノーシス主義を警戒しよう(by R・C・スプロール)

R.C. Sproul, Faith and Reason 現代のポストモダン文化にあって、私たちは古代グノーシス主義の驚くべき復興を目の当たりにしています。 古のグノーシス主義者たちがこの名で呼ばれていたのは、彼らが、「自分たちは、より優れた種類の知識(ギ:gnosis)を…

ラディカル・レズビアンからキリスト者へ――ロザリア・バターフィールド女史(元シラキューズ大英文科教授)の救いの証し

昨日、ロザリア姉妹のインタビューを聞き、その中で語られている彼女の力強く、真実な証しに感動しました。一人一人の人生の旅路において、主がどのように魂に介入し、ご自身を啓示してくださるのか、私たちはそのくすしき御業にただ賛美と感謝をささげるの…

懐疑と絶望に苦しむ者への慰め――ウィリアム・クーパーの生涯と信仰詩

新生した信仰者が懐疑や不可知論の沼に陥ることはあるのでしょうか。他の人の心や思考のかたちは目に見えないので客観的なことは何も言えませんが、私個人に関して言えば、そうだと告白せざるを得ません。この状態に陥ると魂は、必死の抵抗にも関わらず、う…

S兄の救いの証(イラク、20代前半)

私は、イラクのM市にあるスンニ派イスラム教家庭で生まれました。〔イスラム国に占拠される前までは〕M市には、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存しており、それぞれが、自分の信じる宗教こそ唯一の正しい宗教だと主張していました。私の小学校…

人生の目的は何であるか(三谷隆正)

三谷隆正(1889-1944) 問題の所在 新約聖書マルコ伝10章17-28節 人生の目的は何であるか。 これはすべての人生問題中での最大問題であります。然しこの問題は、生きた人間の問題であって死者の問題ではありません。死んでいる者は生きて居りません。…

知識と信仰(三谷隆正)

一 古代ギリシャの哲人が、「哲学は驚異に始まる」と言った。しかし驚異のうちに我を忘れて、恍惚として神羅万象を嘆美していたのでは、哲学は始まらない。それは詩の境地である。詩は我を忘れての嘆美である。 しかし哲学は我に帰っての省察でなければなら…

神への恐れ(J・グレシャム・メイチェン)

J・グレシャム・メイチェン (1881-1937) Gresham Machen, The Fear of God(全訳) 「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ10:28) これはジョナサ…

キリスト教弁証の二つの目的(フランシス・A・シェーファー)

Francis A. Schaeffer, The God Who Is Thereより抄訳 キリスト教弁証には二つの目的がある。一つは擁護(defense)である。そして二番目は、それぞれ自分たちの置かれた世代が理解できる仕方でキリスト教のメッセージを伝えること(communicate Christianit…

時は短い。(ロバート・マクチェーン)

「神に近く生きなさい。そうすれば、永遠のリアリティーに比べ、他のあらゆる事がらが、あなたにとって些細なこととなっていきます。」Robert Murray M'Cheyne 「ロバート・マーレイ・マクチェーン説教集」より一部抜粋(引用元) 「時は縮まっています(the…

日本福音同盟(JEA)のみなさまへの公開レター【ジェンダー・フェミニズム問題および聖書信仰に関して】

主の御名を賛美いたします。私は福音派教会に通う一信仰者です。今日はみなさんに自分の心の内にあることをお分かち合いしたいと思い、ネット上ではありますが、このようにお手紙をしたためております。 さて、貴同盟のホームページの「女性委員会」のセクシ…

人を待っては何事も成らない。(内村鑑三)

緑蔭独語 今の人は、世論を作らなければ何事も成らないと思う。ゆえに彼らは世論を作るに汲々(きゅうきゅう)として日もまた足らない。しかしながら、昔より今日に至るまで、人類の大進歩にして世論となって成ったものはない。進歩は常に偉人が独りでなして…

墓のかなたを眺望しつつ(内村鑑三)

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人が滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるもの…

信仰の鍛錬(三谷隆正)

エレミヤ20章7-13節 7 主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。 8 私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ。」と叫ば…

何はともあれ勇者たれ。(内村鑑三)

何はともあれ勇者たれ 「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ伝10:28) 何はともあれ勇者たれ。「否」と言わざるべからざる場合には「否」と言う…