巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

マリア論(Mariology)

第二バチカン公会議研究④ーーヨーゼフ・ラッツィンガーの回想記

第二バチカン公会議(出典) ベネディクト16世ヨーゼフ・ラッツィンガー著(里野泰昭訳)『新ローマ教皇ーーわが信仰の歩み』(春秋社)より一部抜粋 (下の目次の小見出しは読みやすさを考え、ブログ管理人が任意に作成したものです。) 目次 どのテーマ…

第二バチカン公会議研究②ーーロマノ・アメリオ著『イオタ・ウヌム(Iota Unum)』(1985年)

ロマノ・アメリオ著『イオタ・ウヌム(Iota Unum)』(原著1985年にイタリア語で出版) Iota unum non praeteribit. Not one jot, nor one tittle shall pass away. (律法の中の一点一画でも決してすたれることはない。)マタイ5:18 目次 第1章ー…

おおベツレヘム!(♪يا بيت لحم)ーーアラビア・ビザンティン詠唱

出典 「主は乙女のところに来られた。自らをしもべとするために。 ロゴスは乙女のところに来られた。胎の中で沈黙するために。

汝を祝するのはまことにふさわしいことです、セオトコス(♪ Άξιον εστίν)ーーアレッポの修道院より

出典

今日乙女がロゴスをお産みになられる(♪اليوم العذراء)ーーアラビア・ビザンティン詠唱

出典 ルカ2:10-11 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」 καὶ εἶπεν αὐτοῖς ὁ ἄγγελος Μὴ …

蜜の流れる博士(Doctor mellifluus)ーークレルヴォーの聖ベルナルドゥスの信仰と中世シトー会詠唱

クレルヴォーの聖ベルナルドゥス(1090-1153)(出典) 目次 中世後期のシトー会詠唱 O odoriferum lilium(♪おお甘美なユリ) クレルヴォーの聖ベルナルドゥス(by 教皇ベネディクト十六世)

女性が司祭になることが不可能である根拠について(byドワイト・ロングネッカー神父)

女性司祭ーー存在論的奇形性(ontological disfigurement)及びキリスト論的歪曲(Christological distortion)という惨劇 (写真:Feminism and the Catholic Priesthood: What’s the Root of the Matter?) 目次 『カトリック教会のカテキズム』1577項…

存在論の深みへーー祝福され尊いお方、乙女マリア(♪ Benedicta et venerabilis)【ゴシック詠唱、初期オルガヌム期/ノートル・ダム楽派】

ノートルダム大聖堂のステンドグラス(出典)

おお、いとも聖なるお方!(♪ O sanctissima)【グレゴリオ聖歌】

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれ…

セオトコスーー真の自由への導針(by ヨルゴス・カプサニス掌院、アトス山修道士)

アトス山(Ἅγιον Ὄρος)修道院群 ヨルゴス・カプサニス掌院(写真右)。アトス山グレゴリウー修道院元院長。2014年召天。出典

典礼という無尽蔵の源泉から生み出される聖性ーーハッケボルンの聖メヒティルト

ハッケボルンの聖メヒティルト(ドイツ名:Mechthild von Hackeborn, 1240/41年-1298/1299年 )ザクセンのベネディクト会修道女。学問、知性、人文的書物に関する知識、すばらしく優しい声をもつ彼女は「神の小夜鳴鳥(ナイチンゲール)」と呼ばれていました…

おお主をお宿しになられた乙女よ!(♪ Bogorodice Djevo, radujsja)

コソボにある修道院で静かに祈るセルビア人のシスター(出典)

おお純潔なる聖女!ーー「アグニ・パルセネ」の世界から眺望する処女マリアの神秘

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。…

教会の生ける聖像(icon)ーークリスチャン・ベールの神学的重要性について

出典 The Theological Significance of the Christian Veil(カトリックサイトVeils by Lilyより拙訳)

私の辿ってきた道ーー元無神論哲学者ランダ・チェルヴィン女史の信仰行程【後篇】

【前篇】はココです。 目次 ヒルデブラント夫妻との出会い フォーダムの大学院にて ヨーロッパでの夏季講習 奇跡 転換点 永遠へのルート

刑罰代償説(penal substitution theory)に関する東方正教会内の諸見解について

目次 見解① 見解② プロテスタント内での動き 所感 参考文献

第二のイヴとキリストの人間格ーー古代教会における聖母マリアの教義展開について(by ヤロスラフ・ペリカン)

目次 初期キリスト教世界の創世記1-3章読解 イヴとマリアの比定ーー教父エイレナイオス イヴとマリア――均衡のとれた両端の開示 第二のイヴとしてのマリアーー「歴史循環説」への批判 「イエスの人間格」に躊躇するグノーシス派の認識に対する、教父たちの…

ソリ・デオ・グロリア(「ただ神にのみ栄光」)に関する省察(by ジョナサン・ディーン)

Jonathan Deane, A Salient Moment – Reflection on Soli Deo Gloria, 2009(拙訳) ジョナサン・ディーン。カリフォルニアのカルバリー・チャペルでイエス・キリストを信じる。その後、ディスペンセーション主義神学に対する疑問が生じ、カルバリー・チャペ…

遺物、聖人、そしてマリアの被昇天について(by デイビッド・アンダーズ)

“The Assumption of the Most Holy Mother of God”(Pietro Cavallini作) 目次 遺物、聖人、マリア崇敬に対するマイナス感情 最初のパンチ 一筋縄ではいかない 聖人や遺物は実は聖書的だということに気づく なぜユダヤ人たちはこのような事を信じ実践してい…

エフェソス公会議(431)及びカルケドン公会議(451)について(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

431年に開催されたエフェソス公会議(出典) 目次 全地公会議に対するプロテスタントとカトリックそれぞれの捉え方 エフェソス公会議 告白者マクシモス

「神の母」(=テオトコス)という聖母マリアの称号に関する考古学的発見と、個人的苦悩の告白

目次 「神の母」と私の苦悩 【補足資料】 「スブ・トゥウム」を記した最古の資料 参考文献

カルヴァンやツヴィングリやウェスレーは聖母マリアのことをどのように考えていたのだろう?

目次 ジャン・カルヴァン フルドリッヒ・ツヴィングリ トマス・クランマー ハインリヒ・ブリンガー ジョン・ウェスレー 参考資料

マルティン・ルターは聖母マリアのことをどのように考えていたのだろう?

「それゆえに、人々は彼女を神の母と呼ぶことにより、彼女の全栄光をこの一語に一括している。何人も彼女の偉大さについて、また彼女に対し、たとい海の砂、天の星、木や草ほどの多くの舌をもっていたとしてもーー、これより以上に言うことはできない。神の…