巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ポスト近代とキリスト教世界観

なぜ若者たちは伝統的 Liturgy を求めているのか?(by グレーシー・オームステッド)

Liturgy(典礼、礼拝、聖体礼儀)出典 目次 伝統諸教会に向かう若者たちーーポストモダン時代の根幹 バート・ギングリッジの場合 ジェッセ・コーンの場合 ジェイソン・シュテルマンの場合 困難を伴う決断 プロテスタント諸教会の対応 礼典的なもの(sacramen…

世俗の時代とは何だろう?そして私たちクリスチャンはどのように生きていけばいいのだろう?(by ジェームス・K・A・スミス、カルヴァン大学)

主よ、なにをどのように信じていったらいいのか教えてください。(出典) 目次 はじめにーー世俗の時代とは? 講義の内容

アンソニー・ボリーソフ神父(ロシア正教会)とジョン・ミルバンク氏(聖公会神学者)との対談記事

モスクワ神学アカデミー(出典) 目次 モスクワでの対談 〔補足〕改革派神学はラディカル・オーソドクシーをどう見ているか

ポスト近代性は、キリスト教信仰と両立可能?ーー考えられ得る三つの回答(アンソニー・C・ティーセルトン、ノッティンガム大)

ポストモダン建築(出典) 目次 第一の回答 第二の回答 第三の回答

日曜日の「字義性」と、平日の「メタファー」の相剋をどうすればいい?ーー大学生のみなさんへの応援レター

目次 はじめに 一つの懸念 世界観の相剋 「時代精神に抵抗すること」と、「時代の子である」という二つの事実 「字義性」と大学生活ーー花子さんのケース キリスト教世界観の中における言語観を求めて

懐疑に苦しむクリスチャンへの励まし②ーーなぜ懐疑主義は人間本性にフィットし得ないのかについて(by エスター・ミーク)

出典 目次 「懐疑」から「確かさ」へ、そして再び「懐疑」【サイクルその2】 「懐疑」から、、、そして次は何?【サイクルその3がスタート】 なぜ懐疑主義はフィットし得ないのかについて そして今、どうなっているの?

懐疑に苦しむクリスチャンへの励まし①ーー「知る」ことについて(by エスター・ミーク)

エスター・L・ミーク。ペンシルベニア州ジュネーブ大学哲学科教授。ヴァン・ティル学派の前提主義、ジョン・フレームの多元遠近法(multiperspectivalism)及び、マイケル・ポランニーの暗黙知(tacit knowledge)をベースに、契約主義キリスト教認識論を構…

「そもそも聖書の解釈の仕方など学ぶ必要あるの?」(D・A・カーソン、トリニティー神学校)

目次 はじめに できる限り良心的に、聖書のバランスを計り、歴史的/神学的「あれかこれか」的分裂への屈服を避ける。 聖書のある部分におけるアンチテーゼ的性質(特にイエスの説教のある部分)はレトリックなものであり、絶対的でものではないことを認識す…

「ヘブル的ルーツ運動(HRM)」を自称しないけれどもその影響下にある個人や諸団体をどのように識別することができるのでしょうか?

「ヘブル的ルーツ運動(HRM)」にはいろいろな〈顔〉があります。またいろいろな〈出入り口〉があります。それは敬虔さや優しさの裏にひっそり横たわっている場合もあれば、攻撃的で分派主義的一匹オオカミの牙となっている場合もあります。

「故意によるものではなかった」宗教改革?(by マイケル・ホートン、ウェストミンスター神学校)

目次 一般に受け入れられているモダニティー解釈 〈スコトゥス・ストーリー〉とは何か? 1.一義性(Univocity) 2.節約の原理もしくは「オッカムの剃刀」 3.知性そして自然から(神および私たち両方の)意志を分離させるラディカルな主意主義(volunta…

時代を徹底的に生き抜いた信仰者、南原繁ーー「ナチス精神とその世界観的基礎」および歌集「形相(けいそう)」より

天なるや日は照らせども現身(うつそみ)のわれのいのちの常なげくなり 繁 南原繁(なんばら しげる、1889-1974)。日本の政治学者。香川県大内郡南野村生まれ。1910年6月一高卒業。7月、東京帝国大学法学部に入学後、内村鑑三の薫陶を受け、…

「時代の教理」ファシスト的伝統(by G・エドワード・ヴェイス他)

「彼は愚かではなかった。完全な無思想性―――これは愚かさとは決して同じではない―――、それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。このことが〈陳腐〉であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してもアイヒマンから悪魔的な…

「この聖書テキストには果して『意味』があるのだろうか?」ーーケヴィン・ヴァン・フーザーの著書レビュー(by ヴェルン・ポイスレス、ウェストミンスター神学校)

Vern Poythress, Review of Kevin Vanhoozer’s Is There A Meaning In This Text? in Westminster Theological Journal 61/1 (1999) 125-28. (拙訳)

聖書に取り組む際、私たちは自らの持つ「諸前提」をどうすればいいのか?(by D・A・カーソン、トリニティー神学校)

目次 前提的および歴史的誤謬 新解釈(New Hermeneutic)の影響 疎隔(distanciation)の必要性 まとめ

「知ることは可能か?」キリスト教認識論ーー21世紀の激戦地

目次 エスター・ミーク著『Longing to Know』の書評(by ジョン・M・フレーム、フロリダ州改革派神学校) エスター・ミーク著『Longing to Know』の書評(by D・A・カーソン、トリニティー神学校)

認識論の必要性ーーマイケル・ポランニーについて(by フランシス・シェーファー)

フランシス・A・シェーファー(1912 –1984) Francis A. Schaeffer, He is there and He is not silent in Trilogy (Wheaton, 1990), chap.3. The Epistemological Necessity: The Problem, 311-313(抄訳) さて、我々はまた、「階下」にある実証主義に注意…

論理実証主義とその亡霊たちーー類比的な言語の使用について(by R・C・スプロール)

目次 「類比的な言語の使用」ーー有神論を否定する人々によって攻撃にさらされている原則 神を知り、神について何かを言明することは可能なのか? いかにしてラディカルな懐疑主義が形成されるに至ったのか? 神の超越性と内在性 振り子が振り切れる 神につ…

イマヌエル・カントとキリスト教世界観(ヴェルン・ポイスレス)

目次 『純粋理性批判』の冒頭 カントにおける一般恩寵 用語の分析 対象に関する認識を作りだすナラティブ 「表象/像」とは何か? 多数の前提、多数の視点 経験論者 vs 観念論者 「対象」とは何か? 脱構築 キリスト教世界観

聖書信仰のクリスチャンは、ソシュールの構造言語学をどのように評価すべき?(by ヴェルン・ポイスレス)【大学生の皆さんへの応援記事】

目次 訳者はしがき 〔記事①〕20世紀における思想の一大転換の流れを掴む 「歴史」から「構造」へ 文化的変遷 構造の研究 旧き挑戦、そして新しき挑戦 〔記事②〕ソシュールの構造言語学について 構造言語学における単純化 フェルディナンド・ソシュール(Fe…

多元主義と相対主義(by R・C・スプロール)

目次 高い仕切り壁 「多数から一つへ」から「多数から多数へ」 進化思想の興隆ーー19世紀 「進化」から「相対性」へーー20世紀 教会の中の多元主義 多元主義:キリスト教のアンチテーゼ 相対主義と中絶問題 誰が中絶する権利を与えているのでしょうか? …

脱構築(déconstruction)とキリスト教世界観(by ヴェルン・ポイスレス)

目次 はじめに 脱構築(déconstruction) 私たちの姿勢 フィールド・パースペクティブとしての脱構築 脱構築のモットー:『テクストの外部には何もない。』 脱構築のモットー:『作者の死』 脱構築のモットー:『シニフィエ(‟記号内容”)の繰延』 脱構築の…

「求道者にやさしい(Seeker-sensitive)」礼拝とプラグマティズム(by R・C・スプロール)

目次 プラグマティズム 関連記事および資料 プラグマティズムとマーケティング(ピーター・ドラッカーの経営学原理とSeeker sensitive教会) 補足:プラグマティズム前期の歴史 www.ligonier.org プラグマティズム アメリカ文化を形成してきた大半の諸哲学は…

ゴスペルフラ問題 Q&A+検証記事のご案内

ゴスペルフラ現象に関することですが、あるサイトで、この問題について真摯に取り組んだ末、ゴスペルフラを習うことにした方のコメントを拝見いたしました。この方のご見解と信仰に最大限の敬意を払いつつ、みなさんとご一緒に考えていけたらと思います。 イ…

すべての真理は神の真理である。(by R・C・スプロール)

R.C. Sproul, All Truth Is God’s Truth(全訳) 自分の思考や精神に、消えることのない深い印象を刻みつけた著書というのが数冊あるが、その中の一冊が、The Metaphysical Foundations of Modern Science(「現代科学の形而上学的基礎」)だった。 50年以…

主日礼拝とはまず第一に信者のための集まりです。(by R・C・スプロール)

牧者たちが羊を養う代わりに、道化師たちが娯楽でヤギを楽しませるような時代が、やがて教会に到来するだろう。――チャールズ・H・スポルジョン R.C. Sproul, Good Intentions Gone Badより抄訳(here) 「地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to…

聖書の権威を放棄する秘かなる10の道すじについて(by D・A・カーソン)

D.A. Carson’s “Subtle Ways to Abandon the Authority of Scripture” (here) 訳者はしがき この記事は、2016年5月に、オハイオ州クリ―ヴランドでなされたD・A・カーソンの講義録です。要約筆記者は、ライアン・ウェルシュ氏です。 D.A.Carson この講義…

異教文化を「聖別」?――ゴスぺルフラ現象の背後に潜む新神学および「土着の民の運動(Indigenous People’s Movement)」について【文化と宣教】

Gospel Hula (情報源) 先月、私は、フラダンスを用いたキリスト礼拝のあり方について次のような記事を書きました。 元々女神に捧げられていたハワイの異教ダンスを「聖別し」、「贖い(redeeming)」、伝道や礼拝のために「善用する」というこの新しい宣教…

二種類の謙遜――謙遜と確かさは両立可能(G・K・チェスタートン)

G.K. Chesterton G.K. Chesterton, Orthodoxy [reprint, San Francisco: Ignatius, 1995], 36-37より翻訳抜粋 今日の私たちの災難は、誤った位置に置かれている「謙遜」である。謙虚さは、「熱望」の器官から移動し、今や「確信」の器官の上に落ち着いてしま…

「聖書的」であることの意味について

「何かが『聖書的である』という時、それは一体どういう意味なのでしょう。私たちは『聖書的』という言葉を、記述的な意味(つまり、「聖書に見いだされるもの」)というよりも、「何を神様が望んでおられるか」という規範的な意味で使うことに慣れっこにな…

イマージング運動――昔風のリベラリズム(by ボブ・デウェイ)【後篇】

〔前篇〕からの続きです。 目次 オーソ・パラドクシー:逆説と矛盾の受容 結語 Ideas Have Consequences: A Partial Paraphrase and Review of Modern Fascism by Gene Edward Veith Back to Nature Martin Heidegger the Fascist The Rejection of the Valu…