ディスペンセーション主義の問題点
写真素材 pro.foto 聖マカリオスの祈りの中に次のような箇所があります。「わが罪をお赦しください、おお、ただ一人罪なき御方よ。今日というこの日に汝に対して犯した罪――意識的に、もしくは知らずに――言葉において、行ないにおいて、思いにおいて、自分の…
Fr. John Whiteford, Allegorical Interepretations of Scripture?, Orthodox Christianity, 2015(拙訳) 最近、当該サイトにおいて、私たちはジョン・A・ペック神父「聖書における四通りの意味(The Four Senses of Scripture)」という記事を掲載しまし…
祭壇(出典) 架け橋づくり 「ヘブル的視点」の世界分断 必須条件1)背教ナラティブ 必須条件2)‟不可視的なもの”としてのプロテスタント教会論 必須条件3)「五つのソラ」+「ディスペンセーション主義」 さらなる考察のために 「ヘブル的視点」とディス…
2018年7月25日付記事の再掲載 赤組と白組のリレー競走(出典) 目次 赤組と白組の論争 モルモン教陣営内の場合 福音主義陣営内の場合 でも両方とも間違っているとしたら、、その場合はどうなる? レフリーを探すぞぉ~! ジョサイア・トレンハム神父 …
Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists, Westminster Theological Seminary, PA, 1986(インターネットにて公開) 著者紹介 はじめに 用語定義・聖書の歴史的形態・ジョン・N・ダービーについて スコフィールドのディスペンセーション…
「アンダーソン型」病理を対岸の火事視していいのだろうか? 独立バプテスト教会のスティーブン・アンダーソン牧師の教説をマイケル・ロフトン師が分析しています。
実験室(出典) 19世紀に英国で興ったディスペンセーショナリズムというプロテスタントの一潮流があります。 ディスペンセーショナリズムは、当時猛威を振るっていたキリスト教リベラリズムに対抗する敬虔運動としての肯定的側面を持っている一方、その聖…
出典 以前の記事の中で少し触れましたが、私はこれまで正式な神学教育をほとんど受けてきていません。望んでいてもその機会に恵まれなかったためでしょうか、私は常に師に飢え渇き、訓育の場に飢え渇いていました。
目次 「テーラー、地獄に落っこちちゃうよ。」 御言葉を通しての救い ヨハネ・パウロ二世ーー反キリスト? 信仰と理性の和合 アングリカン司祭になる 教皇が死んだ! 私にローマを指し示した一人のラビ カンタベリーからローマへの行路 訳者によるエピローグ
出典 目次 ある学生の問い 南部福音神学校(SES)の教官として 福音主義の根本的諸問題に直面して 正統性に関する問題 最大の悩みーー「教派選び」
【その1】からの続きです。 「正統性」 を決める権威の所在はどこにあるのだろう?(出典) 目次 聖書のみで正統性を決定できるだろうか? 2.解釈における不一致 歴史的・文法的方法(GHM)の抱える諸問題
出典 目次 「聖なる地」を求めて トールキンの世界に魅せられて 神との出会い、そして聖書の再発見 ウェスト・バージニアの聖書学校、そして南部福音神学校(SES) 神礼拝とリトルジーの発見
何が真で、何が偽なのだろう?(出典) 目次 ポスト近代宗教とグノーシス主義 神の男性イメージ、女性イメージという統一協会見解 何をもってある解釈体系が真とされ、あるいは偽とされるのか?
全能なる神が、伝統的キリスト教会の中にすでに「恒久的に」ヘブル的ルーツを植えてくださっているため、「回復」のための新運動自体がそもそも必要ないという事実は、私たちキリスト者にとって喜びと慰めに満ちた知らせではないでしょうか。こうして私たち…
新使徒運動アライズ5ネットワーク指導者であるロナルド・サーカ師は、20世紀後半に起こったNAR(新使徒改革)により、キリスト教会がついに再びヘブル的ルーツに結び合わされることになったと述べ、次のように言っています。
ジェームス・K・A・スミス(1970~)。カルヴィン・カレッジ哲学科教授。 目次 予期せぬ出会いと目ざめ 信仰の入り口ーープリマス・ブラザレンの教会 自分たちのセクターもまた一つの ‟伝統” であることに対する気づき 直接性による解釈(hermeneutics o…
出典 目次 例①「聖霊が示してくださったので、ここの聖書箇所においてAという解釈が正しいことを私は確信している。」 例②「私は帰納的な読み方をしたがゆえに、ここの聖書箇所においてBという解釈が正しいことを確信している。」 例③「私は○○的視点で聖書を…
赤組と白組のリレー競走(出典) 目次 赤組と白組の論争 モルモン教陣営内の場合 福音主義陣営内の場合 でも両方とも間違っているとしたら、、その場合はどうなる? レフリーを探すぞぉ~! ジョサイア・トレンハム神父 質問してみる 一歩ずつ進んでいく
ガラテヤ書講解(安黒務師、説教メモより) ガラテヤ書の書かれた時代、エルサレムには字義的に解釈された旧約聖書、十戒、戒律の奴隷となったユダヤ教の総本山があった。しかし、天にあるエルサレムの神様の臨在の中には自由があるとパウロは言っている。
ふ~、変化が著しいなぁ。。 目次 はじめに 1.その誕生と目標 2.いくつかの諸問題 問題点その1 問題点その2 問題点その3 そして、、最大の問題点は。。 3.結論ーーここからさらに前進していく 文献案内
「ねぇ、『異なる』聖書解釈の仕方が存在するっていうのはさ、つまり、アイスクリーム屋さんに並んでるスウィーツを見ているって感じなのかな。どう思う?」 「スウィーツ?よう分からんわな。」 目次 はじめに ファンダメンタリズムの場合ーー内向きの運動 …
あ~もうお手上げ、、かも。 目次 はじめにーーみんなが頭を悩ませてきた問題! 3つのアプローチをみてみよう。 モデル1.「旧約は律法についての書であり、新約は恵みについての書です。」 モデル2.「旧約は文化的に特定のものであり、新約は時代を超越…
使徒たちがいて、聖徒たちがいて、そこに時空を超えた公同の交わりがある。(出典) インターネットの普及により、私たちは世界中のさまざまな聖書教師たちのHPを訪問し、そこから御言葉の教えや霊的糧を得ることができるようになりました。 「うん、この先…
殉教者ユスティノス著『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(2世紀):ユスティノスとヘレニズム・ユダヤ教徒トリュフォンとが、旧約聖書の様々な箇所の解釈をめぐって交わす論争を対話篇の形で述べたもので、その序文は、プラトン主義者であったユスティノス…
出典 目次 「イエシュア=生けるトーラー」という教理の決定的ジレンマ 訳者補足ーー意味論の領域における再解釈の試み תורה (Torah)とは?(『牧師の書斎』サイト収録文献より引用) 上の引用文に対する訳者の所感 ヘブル的ルーツ運動/メシアニック・ユダ…
あらゆる新運動にはそれを支える神学があり、思想がある。 目次 『牧師の書斎』に収録されている文書群より 要点 考察1 依拠している解釈法について 考察2 言語における慣習性について 考察3 「イェシュア=生けるトーラー」 まとめ 【補足資料】「日本福…
出典 (サンプル1) 「神の言葉=聖書だけにもどり、ヘブライ語のオリジナル原語で書かれた、オリジナルの神の言葉の真実だけを土台に検証し始め、神の言葉の中に書かれている内容を、書いてある意図通り、曲げずに学んでみれば、トラーが、永遠不変の神の…
「最終的に大切なのは、どの宗派/教派の教会が正しいのかではなく、各個人が神の前にいかにあるかということである。」 私はこれまで上記のような教会論に希望を託してきました。そして現在でもこういった意見は妥当なのではないかと思っています。しかし最…
出典 人は誰しも自分の住む世界や関係性に安定を求めているのではないかと思います。 しかし悲しいかな、人生にはしばしそれとは逆のことが起こります。安定せずガタガタいう椅子、心もとなく空を漂う浮き雲。きしみ、揺れる大地ーー。万全を期し、事前対策…
出典 「ですから考察されるべきは、『ギリシャの知的思考は生来的に悪であり、ヘブライ的な倫理的行為は均一的に善なのか?』という問いです。ですがもちろん、ギリシャ的合理性に対して反駁することは困難です。と言いますのも、『ギリシャ的合理性』を反証…