巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

2020年現在の位置から振り返ってみますと、2016年12月に開設されたこのブログは、保守福音主義に立っていた自分が次第に歴史的典礼・秘跡・教会論・ユーカリストへと神学的変遷を経つつ、2018年に(ほぼ)カトリックに改宗、さらにそこから東方典礼カトリック教会を経て、最終的に東方正教に改宗するまでの軌跡を綴った探求記としての特徴をもっています。いくつかの記事を挙げておきます。


彼は「越境」しなければならなかったのか?――カルバリー・チャペルから東方正教会への旅路【書評】
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/01/21/015149

レフリーはどこに?ーープロテスタンティズムと権威の所在
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/06/26/220637

聖書正典(biblical canon)の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【前篇】
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2019/03/07/231934

聖書正典(biblical canon)の問題と福音主義(by ダグラス・M・ボウモント他)【後篇】
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2019/03/09/163849

「使徒的」であることについて
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/01/27/221648

「宗教は嫌いだけど、イエスは好き。」ーー〈宗教〉vs〈イエス〉という二分法と現代マルキオン主義グノーシス思想についての考察
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/06/23/165059

「超教派」という考え方について
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/09/11/054639

ローマ3:28に「のみ(alone)」という語を書き加えたルターの行為は正当化されるのだろうか?(by ダグラス・M・ボウモント)
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/12/02/020528

ソラ・スクリプトゥーラ、ソラ・フィデの教理に関する個人的告白
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/06/26/220637

福音主義にはリベラリズムの倫理的土砂崩れを食い止める力と権威が無いことをついに悟る。
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2019/05/11/182206

なぜ若者たちは伝統的 Liturgy を求めているのか?(by グレーシー・オームステッド)
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/04/23/212651

舌による聖体拝領ーー人間疎外の問題に対する神の愛なる御応答と永遠の智慧
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2019/03/23/202724

はじめての告解
http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2019/12/22/232815


著書:『「現代ワーシップ」から「歴史的典礼」へ――元プロテスタント宣教師の探求記』(アマゾンにて発売)


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この探究の旅は いつ終わるのだろう?


ある意味、それは、
仲保者イエス・キリストの名により神に向かって差し出された 
わたしたちの手が、主の御手を感じ、
主がそこにおられるということを知るとき、
そのとき、終わるのかもしれない。


しかし他方、この探究は けっして終わることがない。


なぜなら、 最初の発見は またたくまに 
次なる問いを引き起こし、
その問いはさらに別の問いを生じさせるから――。
こうして探究は はてしなく続いていく。


これを書いている時分、夜が明けてきた。
はるかかなたの地平線にのぼりゆく太陽の 
まばゆい光点がみえる。


しかし、 
厚い雲が すぐにそれを覆ってしまった。


光を背にした雲は 照り輝き
ピンクと黄金色の 美しい層が
薄もやのような覆いの切れ目から のぞいている。


一心に天をみつめているわが目に
栄光に次ぐ栄光が顕される。


神との関係においても 
同じことがいえるのかもしれない。


神がおられるということを知ること――
それは、探究の出発点にすぎないのだ。


私たちは 
主がどのような方であるかを求めるよう 
いざなわれ、
その探究は、けっして終わることがない。


なぜなら
探究の道を進めば進むほど
ますます、それは深みを増していくのだから。

(from Isobel Kuhn, "By Searching")

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