巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神の世界内在と恩恵―トマス・アクィナス恩恵論の全体像―(桑原 直巳氏)

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「哲学・思想論集」44巻158(1)-142(17) 引用元

 

目次

  • 【1】 はじめに
  • 【2】 トマスにおける「恩恵 gratia」
  • 【3】 性向概念の枠組みにおける恩恵-霊性的倫理
    • (一)性向的賜物としての恩恵
    • (二)注賦的諸性向の理論
  • 【4】 恩恵の結果
    • (一)「不敬虔な者の義化」の意義
      • (1)「不敬虔な者の義化」とは何か
      • (2)「不敬虔な者の義化」の諸要素
    • (二)「不敬虔な者の義化」における信仰の役割
      • (1)「信じる」という行為
      • (2)信仰における受動性と自由意思
    • (三)功績と恩恵
      • (1)功績
      • (2)神愛の役割
  • 【5】 神の世界内在とペルソナの派遣
    • (一)神の世界内在の段階
    • (二)神のペルソナの「派遣」と恩恵
    • (三)受肉-キリストの派遣
      • (1)ペルソナにおける合一の恩恵
      • (2)恩恵の充溢-キリスト個人における性向的賜物としての恩恵
      • (3)教会の頭としてのキリストの恩恵
      • (4)秘跡と恩恵
  • 【6】 結語

 

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「教皇制」に関するイバラ師(カトリック)とパトリック神父(東方正教)の公開ディベートVTR

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ローマ教皇聖クレメンス1世(出典

 

下は、パトリック神父(東方正教)とエリック・イバラ師(ローマ・カトリック)のディベートVTRです。テーマは「教皇制」。司会者はマット・フラッド氏(東方典礼カトリック)です。

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どの教会会議が全地公会議(Ecumenical Councils)であるのか、私たちはどのようにして知ることができるのだろう?

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第七回全地公会議

 

目次

  • 「どの教会会議が全地公会議であるのかを私たちはどのようにして知ることができるのか?」 
  • 指摘例1
  • 指摘例2
  • 指摘例3
  • 指摘例4
  • 所感
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いつの日か

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ある強烈な人生の出来事が、その人の神学やものの見方、世界観に「変異」をもたらし、その内的震動が己のうちにそれまでとは抜本的に違うなにかを創成しつつある――。皆さんはそんな経験をお持ちですか。


私にとっての精神の危機および転換点は、「カトリシズム」と「東方正教」との間に存在する一千年におよぶ「亀裂」とその深淵(schisma)の闇をみた時、起されました。

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「ローマの首位性」に関して――カトリック教徒と正教徒の友好的話し合い

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Peter Gilbert, De unione ecclesiarum(コメント欄抄訳)

 

ヴェリタス(カトリック):カトリック教徒としてあなたにお訊きしたいことがあります。それは、ローマの首位性に関することです。

教皇ヨハネ・パウロ二世『回勅 キリスト者の一致(Ut Unum Sint)』に応答する形で書かれた正教神学者オリヴィエ・クレマン著『You Are Peter: An Orothodox Theologian's Reflection on the Exercise of Papal Primacy』のことも話題になっていますね!ぜひ購入して読んでみたいと思っています。ローマの首位性に関する問いは複雑に入り組んでいます。それで、あなたはこのテーマに関しどう考えておられるのかお聞きしたいと思ったのです。

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真摯なカトリック信徒の問い

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出典


マイケル・ロフトン(ローマ・カトリック):視聴者の皆さんに投票アンケートをお願いしたく思っています。あなたは「東方正教」を巡るテーマに関したビデオにより関心がありますか。それとも、「伝統派カトリック内の諸テーマ」を取り扱ったビデオにより関心がありますか。


K・T・ベル(ローマ・カトリック):第二バチカン公会議文書の中に見受けられる明らかな諸矛盾に対し、それらをより明瞭に説明してくれるビデオを作成してくださったらありがたいです。今日の教会風潮においては、たとい私たちが良い意図をもって質問したとしてもそれらの問いは歓迎されない傾向があります。こういう類の問いを発すると通常、私たちは「分離主義者」と呼ばれます。そしてとにかく理性を放棄し、理解・納得のいかないそのなにかに恭順することが暗黙の内に求められているわけです。ですが、自分たちの中では依然として「やっぱりそれは真ではないのではないか」という懐疑がくすぶり続けています。

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