巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

女性が「司祭」であることに対する10の反論(by 元聖公会女性司祭アリス・C・リンスリー女史)

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Former Female Episcopal Priest Links Women’s Ordination to LGBT Activism

 

Alice C. Linsley, Ten Objections to Women Priests, 2019. (拙訳)

 

目次

  • 女性司祭としての16年間
  • 米国聖公会を離れる
  • 1.教会は民主制ではありません。
  • 2.女性叙階は同性愛アクティヴィズムに連結しています。
  • 3.女性叙階はフェミニスト思想に根差しています。
  • 4.女性司祭はジェンダーに関する混乱を永続させています。
  • 5.女性司祭は聖書および聖伝の権威の拒絶を表しています。
  • 6.女性司祭はエウカリスチア(ユーカリスト、聖餐)に関する混乱を生じさせています。
  • 7.女性司祭は教父たちの教えに対する否認を表象しています。
  • 8.女性叙階(叙聖)は女性ミニストリ―を害しています。
  • 9.聖職者の女性化により、男性の教会参加が妨げられています。
  • 10.祭壇に立つ女性の存在により、いのちと死の間の聖書的区分がぼかされています。

 

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翻訳のむずかしさ

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至聖三者(しせいさんしゃ、ギリシア語: Αγία Τριάδα, ロシア語: Пресвятая Троица, 英語: Most Holy Trinity)は、キリスト教における三位一体の神を表す正教会用語であり、日本正教会で用いられる訳語。祈祷文においては単に「聖三者」「三者」と訳されるケースも少なくないが、説教・文章・日常生活においては「至聖三者」が用いられる事が殆どである。正教会においては、正教会における定義を元に作られた神学用語を「代用となる語」に置き換える事は望ましくないことであり、至聖三者を三位一体という語に限定するのは誤りであるとされる*1。ウィキペディア「至聖三者」より

*1:高橋保行『ギリシャ正教』291頁 - 292頁、講談社学術文庫、1980年。

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CCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)に関する自見解に対する反省的考察

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本ブログの中で私は「CCM礼拝」の持つさまざまな霊的・神学的諸問題に取り組んできました。CCM礼拝形態は、プロテスタント(福音派、聖霊派)や一部のノヴス・オルド現代カトリック教会の中に見出すことができます。

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上にあるものを求め、天使たちと共に祈り、賛美する。

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出典

さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。黙示録5章11、12節

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優しいまなざし

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出典

かつての学校の先生を20年ぶりに写真で拝見しました。外見も表情もまるで別人のように変わっておられ驚きました。この20年の間に先生の人生に何が起こったのでしょう。なぜこれほどまでに激変されたのでしょう。もしかしたらなにか大きな悲しみを通られたのかもしれません。あるいは、ただ一日一日の「時」の積み重ねにより徐々に彼女は今の彼女になっていったのかもしれません――。

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神の受肉、物質の聖化、イスラーム、イコン崇敬(ダマスコの聖イオアン)

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ダマスコの聖イオアン(ヨアンネス;675-749)

 「東方教会でヨアンネス〔=イオアン〕は何よりも三つの講話『聖画像破壊論者駁論*1』によって知られます。

 

この講話は彼の死後、聖画像破壊論者によるヒエレイア教会会議(754年)によって断罪されました。しかし、これらの講話は、第7回公会議の第2ニカイア公会議(787年)に集まった東方教父がヨアンネスを復権し、尊者とした基本的な理由となりました。

*1:Contra imaginum calumniatores orationes tres

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