巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

あらゆる苦悩を喜びで和らげてくださる主を讃えます(ピューリタンの祈り)

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偉大なるみいつの神、

私が享受しているあらゆる祝福、

望んでいるすべてのものの創始者であられる主よ。

 

汝は、私に次のことを教えてくださいました。

悪による現在の経験も、

昔犯した数々の罪の記憶も、

友からの戒めも、

 

御霊の力の働きにより

汝がご恩寵を顕し、

罪の中にいる死人を蘇生させてくださらない限り、

罪びとの心を動かし得ないということを。

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川の慰め――エミー・カーマイケルの信仰詩

 

時が時を数えつつ、二年という歳月が過ぎ、

人生の流れを共にした人が、

すべてを変える海の方へ 

彼女の祖国へと急ぎながら

去っていった。

 

彼女は今も、私にとっての彼女自身でいてくれるのかしら?

それは可能?

 

私の兄弟、私はあなたにとって、以前のままでしょうか。

それとも私は別の人に変ってしまったのでしょうか。

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春の芳香

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かうかうと欅(けやき)芽ぶけり風の中  石田波郷

 

早朝、雨戸を開けると、薄暗くまだ少し肌寒い空気とともに、春の芽の芳香が舞い込んできて、部屋中をいっぱいに満たしました。

 

春を満身に感じます。平安時代の女流文人であった清少納言は、はっとした気づきから来る機知にあふれた感動を「をかし」と表現したそうです。主の創造のわざ、そしてその絶妙な美しさをみる時、たしかにこの世界は「をかし」なる神の神秘で満ちていることを感じ、この神を讃えずにはいられません。

 

「地とそれに満ちているもの、

世界とその中に住むものは主のものである。」(詩篇24:1)

 

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主イエスよ、私は盲目です。汝が私の光となってください。(ピューリタンの祈り)

主イエスよ、

私は盲目です。汝が私の光となってください。

私は無知です。汝が私の知恵となってください。

私はかたくなです。汝が私の知性となってください。

汝の御霊の声をすばやく聞き取ることができるよう

私の耳を開いてください。

 

そして手招きしてくださっている汝の御手に

喜んでつき従っていくことができますように。

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懐疑は消散し、霊的喜びが再び戻ってくる(イサク・ワッツの信仰詩)

 

悲しみよ、わが魂から立ち去れ、

そして喜びの内に我をうち置け。

わが舌は主の中で勝利し、

歓喜の声を挙げよう。

 

暗闇と懐疑がわが心を覆い、

わが頭は涙の中で溺死せんばかりだった。

しかしその時、至高の恵みが輝く光線と共に

わが陰鬱な恐怖を追い出した。

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女性とミニストリー

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In my eyes, women are not flowers of the field, but rather, flowers of a secret garden, meant to be kept and cherished, not ogled by every passer-by; as it says in the Song of Songs: "You are a garden locked up, my sister, my bride; you are a spring enclosed, a sealed fountain." (A secret garden

和訳)「私の目からみると、女性というのは、原っぱの花ではなく、秘密の庭園にひっそりと咲く花であるように思われます。それは、秘められ、大切にいたわられるべく存在しているのであって、通りががかりの人々にじろじろ見られるべく存在しているのではありません。そう、雅歌の中にこう書いてあるように。「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。」(雅歌4:12)

 

感謝なことに私の周りには、とても魅力的で情熱的で、そして信仰心に富むクリスチャンの女性たちがいます。そして日々、私は、彼女たちからの洞察や分かち合いを通し、良い刺激を受けています。

 

さて、コンプリメンタリアン(相補主義)という枠組みの中にいる私たち女性は、次の点で皆一致しています。

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私は自分が生涯の「修正」主義者であることを恥じない。

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「これは往々に起こる事ですが――ある極端を離脱した人々が、その対極にあるもう一つの極端によって提示されるオールターナティブ(代替)を採用したという事情があると思われます。」

 

冒頭の引用文は、19世紀後半から20世紀初めにかけてアメリカでダービー主義が受容された背景についてのフラー氏の解説文です。私はこの部分を翻訳しながら自分自身のこれまでのクリスチャン人生の歩みを赤面の思いで回想せざるを得ませんでした。

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