〔前篇〕からの続きです。
ディオクレティアヌス帝治下における迫害
さて、教会はローマ帝国による最後の大迫害に直面した。神は摂理的配慮によって、この迫害に耐え抜いた暁に教会の勝利を約束しておられたのであった。
ディオクレティアヌスは284年に即位した。この皇帝は、「ローマ的伝統に基づく徳目と神帝(現人神)理念に加えて3世紀のエクファントス、ディオトゲネス、さらに『ヘルメス文書』などによって展開された神寵帝理念(*秀村、前掲p76-77)」を精神的宗教立場としていた。
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(執筆者:日本基督改革派南浦和教会牧師、日本基督神学校講師 泥谷逸郎師、情報源)
われわれの祖国日本では現在、靖国神社を国家護持しようとする動きが盛んである。この動きに多少反対を試みたものとして、考えざるをえなくなる問題は、過去における日本のキリスト教会あるいは個々のキリスト者が日本の国家の圧力に屈服した態度である。
大正期から昭和20年の敗戦にいたるまでの日本のキリスト教界は、国家の全体主義的、軍国主義的な圧力に抵抗すること極めて少なく、ついには、「神社は宗教ではない」という国家側の言い分をうのみにして、教会全体を偶像の前にひざまづかせてしまった。過去におけるキリスト教会は、「人に従うよりは神に従うべきである」という聖書のみことばに服従するよりは、官憲のことばに従って、教会を温存した。
この事実を知ったときから、ある疑問が私の頭を離れなかった。それは、教会史上の大迫害といわれるあのローマ帝国によるキリスト教迫害の折には、多くのものが背教したとはいえ、なお、数多くの聖徒たちが背教するよりは死を選んでいったのはなぜか、ということであった。この「なぜ」という問いを持ち続け、いつかは自分なりにある解答をまとめてみたいものだと考えていたのである。
続きを読むグラディエーター(剣闘士)、3世紀、キプロス
先日、私は、次のような記事を書きました。
そして、その中で、私はみなさんに、「はたして現代文化が、みことばに対する私たちの従順を規定するのでしょうか?それともその逆でしょうか?」という問題提起をいたしました。
続きを読む昨日、ある難民の家族を連れ、夕日を見に、スニオン岬という所に行きました。この岬には海神ポセイドンを祀る神殿があり、観光スポットの一つにもなっています。
海を見ながら、難民のお母さんも二人の幼い子どもたちも、自分たちがボートで漂流した時どんなに波が荒れていて怖かったか、死にそうになる寸前で神さまに助けられたか、熱心に語ってくれました。
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フィル・ジョンソン:それから今ここで語られているポストモダニズムですが、これが一体何なのか、読者のみなさんに分かりやすく説明してくださいますか。秘義や不確かさの受容とか、、そういう事は先ほど少し伺いましたが、ポストモダニズム全般に関してもう少し詳しく説明してくださいますか。
ジョン・マッカーサー:はい。それではまず出発点としてモダニズムという世界観から簡単に見ていきましょう。モダニズム(近代)の前には、「前近代」というのがありました。そしてモダニズムの後にはポストモダニズム(ポスト近代)があります。
モダニズムはこう言います。「真理は存在します。そして私たちはこの真理を人間の理性によって探し出すことができます。ええ、神からの啓示なしに、聖書なしに、ただ人間理性によって探し出すことができるのです。」
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