巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

スニオン岬にて――愛する同胞の救いを祈りつつ

昨日、ある難民の家族を連れ、夕日を見に、スニオン岬という所に行きました。この岬には海神ポセイドンを祀る神殿があり、観光スポットの一つにもなっています。

 

海を見ながら、難民のお母さんも二人の幼い子どもたちも、自分たちがボートで漂流した時どんなに波が荒れていて怖かったか、死にそうになる寸前で神さまに助けられたか、熱心に語ってくれました。

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「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)【その3】

その1〕〔その2〕からの続きです。

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フィル・ジョンソン:それから今ここで語られているポストモダニズムですが、これが一体何なのか、読者のみなさんに分かりやすく説明してくださいますか。秘義や不確かさの受容とか、、そういう事は先ほど少し伺いましたが、ポストモダニズム全般に関してもう少し詳しく説明してくださいますか。

 

ポストモダニズムとは何か?

 

ジョン・マッカーサー:はい。それではまず出発点としてモダニズムという世界観から簡単に見ていきましょう。モダニズム(近代)の前には、「前近代」というのがありました。そしてモダニズムの後にはポストモダニズム(ポスト近代)があります。

 

モダニズムはこう言います。「真理は存在します。そして私たちはこの真理を人間の理性によって探し出すことができます。ええ、神からの啓示なしに、聖書なしに、ただ人間理性によって探し出すことができるのです。」

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「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)【その2】

その1】からのつづきです。

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Seeker Sensitive Churches(「求道者にやさしい」教会)

 

フィル・ジョンソン:教会史をみても、こういった「文化を聖別しよう」という発想は、各世代に存在していたように思われます。

 

つまり、教会の中の一角に、「この世の人々にリーチするために私たちに今是非とも必要とされていることは、自分たちの考え方や言葉等すべてを、この世の文化で起こっていることに適応させることだ」と考える人々が存在していたということです。現在みられる現象も、そういったものの表れではないかと思うのですが、どうでしょうか。

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異教文化を「聖別」?――フラダンスを用いたキリスト礼拝のあり方をご一緒に考えてみましょう。【ゴスペルフラ/文化と宣教/イマージング運動検証】

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先日の記事の中で、ある姉妹が、教会の主日礼拝で催される賛美フラのあり方に良心のつまずきを覚え、苦悶しておられる旨をみなさんに共有しました。

 

その後も私は、「元々異教女神に捧げられていたフラダンスをキリスト教礼拝の中に取り入れる」という発想の源流(ルーツ)を追い求めてリサーチを続けていました。

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「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)

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What's So Dangerous About Emerging Church? (Grace to You)

 

読者からの質問:イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。

 

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John MacArthur

 

ジョン・マッカーサー:ひと言で言いますと、イマージング・チャーチ・ムーブメントというのは、「聖書に関する『不確かさ』という点に価値があり、美徳さえある」と考える、無定形のゆるい教会諸連合のことをいいます。この運動の根幹にあるのは、「聖書が何を意味しているのか正確に理解できる、などと考えることさえすべきでない」という彼らの信奉です。

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それでもあえて人が真理のために立つ時(by A・W・トーザー)

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A.W. Tozer, Daring to stand for Truth(全訳)

 

神のこころに近づけば近づくほど、私たちは論争を好まなくなる。神の御胸に抱かれる平安のあまりの甘美さに、「ああ、できるものならたえずフルにその中にとどまっていたい」――そう願うのが人の自然の情というものであろう。

 

御霊に満ちたクリスチャンというのはけっして「良い」戦士ではない。戦士としての不利な条件が彼にはあまりにも揃い過ぎている。その点、敵はいつも相手を糾弾することにおいて、彼よりずっと上手(うわて)だ。

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宗教改革、ルネッサンス、そして全的人間(by フランシス・A・シェーファー)

 

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宗教改革期の教会

 

Francis A. Schaeffer, Escape from Reasonより抄訳

 

ルネッサンスと宗教改革思想との間の相違は、多くの実際的結果を生みだした。例えば、ルネッサンスは女性たちを「解放」し「自由」にした。そしてそれは宗教改革とて同様である。――しかし後者が女性たちにもたらした自由は前者のそれとは大きく異なっていた

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