巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)【その2】

その1】からのつづきです。

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Seeker Sensitive Churches(「求道者にやさしい」教会)

 

フィル・ジョンソン:教会史をみても、こういった「文化を聖別しよう」という発想は、各世代に存在していたように思われます。

 

つまり、教会の中の一角に、「この世の人々にリーチするために私たちに今是非とも必要とされていることは、自分たちの考え方や言葉等すべてを、この世の文化で起こっていることに適応させることだ」と考える人々が存在していたということです。現在みられる現象も、そういったものの表れではないかと思うのですが、どうでしょうか。

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異教文化を「聖別」?――フラダンスを用いたキリスト礼拝のあり方をご一緒に考えてみましょう。【ゴスペルフラ/文化と宣教/イマージング運動検証】

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先日の記事の中で、ある姉妹が、教会の主日礼拝で催されるゴスペルフラダンスのあり方に良心のつまずきを覚え、苦悶しておられる旨をみなさんに共有しました。

 

その後も私は、「元々異教女神に捧げられていたフラダンスをキリスト教礼拝の中に取り入れる」という発想の源流(ルーツ)を追い求めてリサーチを続けていました。

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「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)

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What's So Dangerous About Emerging Church? (Grace to You)

 

読者からの質問:イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。

 

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John MacArthur

 

ジョン・マッカーサー:ひと言で言いますと、イマージング・チャーチ・ムーブメントというのは、「聖書に関する『不確かさ』という点に価値があり、美徳さえある」と考える、無定形のゆるい教会諸連合のことをいいます。この運動の根幹にあるのは、「聖書が何を意味しているのか正確に理解できる、などと考えることさえすべきでない」という彼らの信奉です。

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それでもあえて人が真理のために立つ時(by A・W・トーザー)

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A.W. Tozer, Daring to stand for Truth(全訳)

 

神のこころに近づけば近づくほど、私たちは論争を好まなくなる。神の御胸に抱かれる平安のあまりの甘美さに、「ああ、できるものならたえずフルにその中にとどまっていたい」――そう願うのが人の自然の情というものであろう。

 

御霊に満ちたクリスチャンというのはけっして「良い」戦士ではない。戦士としての不利な条件が彼にはあまりにも揃い過ぎている。その点、敵はいつも相手を糾弾することにおいて、彼よりずっと上手(うわて)だ。

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宗教改革、ルネッサンス、そして全的人間(by フランシス・A・シェーファー)

 

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宗教改革期の教会

 

Francis A. Schaeffer, Escape from Reasonより抄訳

 

ルネッサンスと宗教改革思想との間の相違は、多くの実際的結果を生みだした。例えば、ルネッサンスは女性たちを「解放」し「自由」にした。そしてそれは宗教改革とて同様である。――しかし後者が女性たちにもたらした自由は前者のそれとは大きく異なっていた

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信仰と理性――キリスト教会に忍び寄るネオ・グノーシス主義を警戒しよう(by R・C・スプロール)


R.C. Sproul, Faith and Reason

 

現代のポストモダン文化にあって、私たちは古代グノーシス主義の驚くべき復興を目の当たりにしています。

 

古のグノーシス主義者たちがこの名で呼ばれていたのは、彼らが、「自分たちは、より優れた種類の知識(ギ:gnosis)を持っている」と主張していたことに因ります。そして彼らは、自分たちのそういった知識が、新約聖書の使徒たちの内に見いだされる洞察さえも凌駕するものであると考え、主張していたのです。

 

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Gnostic Christianity(引用元

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ブログ内の用語説明・定義――相補主義と対等主義について

目次

  • 相補主義(Complementarianism)
    • 相補主義に立つ教団・教派の一例
    • 相補主義キリスト者の一例
  • 対等主義(Egalitarianism)
    • 対等主義に立つ教団・教派の一例
    • 代表的な対等主義キリスト者
  • 「相補主義」と「対等主義」について――福音主義教会を二分する二つの視点
    • はじめに
    • ことの起こり
    • 両者の根本的な違い
    • ジェンダーの相違は、堕落前の「祝福」それとも堕落後の「呪い」?
    • 無理な解釈
    • まず初めに「神のことばありき」それとも、「イデオロギーありき」?
    • 役割における「違い」と「優劣」を混同してはいけない
    • かしら性(headship)について
    • おわりに
  • 「相補主義」と「対等主義」――三位一体論をめぐる両者の衝突 【ジェンダー問題】
    • このような批判が出される二つの理由
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ポスト近代と「セラピーの統治」(by アルバート・モーラー)


セラビーの統治(The Dominion of Therapy)

 

真理が否定された後には、セラピーが残る――。こうして決定的な問いが、「何が正しいのか?」から「何が私の気分を良くさせてくれるのか?」へと移行していきます。こういった文化的傾向は何世紀にも渡って発展してきたものですが、今やそれは最高潮に達しつつあります。

 

私たちの日々向き合う文化は、ほとんど完全に、フィリップ・ライフの言う「セラピーの凱旋」の征服下にあります。ポスト近代の世界では、すべての問題は結局、「自我」を中心に廻っています。

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心理学エピデミックとその治療――「クリスチャン・カウンセリング」のあり方を問う(by ジョン・F・マッカーサー)

目次

  • 「クリスチャン・カウンセリング」のあり方を問う
  • 関連記事

 

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John F. MacArthur, Jr, The Psychology Epidemic and Its Cureより抄訳

 

「クリスチャン・カウンセリング」のあり方を問う

 

今日使われている表現としての「キリスト教心理学」は、それ自体、矛盾語法(oxymoron)となっています。

 

心理学という語は、もはや心(精神)についての学を言及しておらず、根本的にヒューマニスティックな各種セラピー、あるいは諸理論の寄せ集めを描写するものとなっています。

 

諸前提や、大半の心理学教説は、キリスト教信仰にうまく統合することができません(PsychoHeresy 5-6)。それに加え、教会の教えの中に注入される心理学により、「行動修正」と「聖化」との間のラインがぼかされてきています

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ユング心理学がキリスト教会に与えている脅威について(by ドン・マツァット)【後篇】

前篇】からのつづきです。

 

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カール・ユングとMBTI性格テスト(Myers-Briggs Type Indicator)の相関性

 

神秘主義のための枠組み

 

「視覚化」に関するカール・ユングの教えは、インナーヒーリング運動だけでなく、キリスト教会内の心理学的神秘主義の蔓延のフレームワークとなっています。

 

そして、現在、多くのキリスト教教師、牧師、祭司たちがイエスを視覚化するためのテクニックを教会内に普及させようとしていますが、大半の人々はその教えのについてほとんど知らない状態にあると思われます。

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