巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

宗教改革、ルネッサンス、そして全的人間(by フランシス・A・シェーファー)

 

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宗教改革期の教会

 

Francis A. Schaeffer, Escape from Reasonより抄訳

 

ルネッサンスと宗教改革思想との間の相違は、多くの実際的結果を生みだした。例えば、ルネッサンスは女性たちを「解放」し「自由」にした。そしてそれは宗教改革とて同様である。――しかし後者が女性たちにもたらした自由は前者のそれとは大きく異なっていた

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信仰と理性――キリスト教会に忍び寄るネオ・グノーシス主義を警戒しよう(by R・C・スプロール)


R.C. Sproul, Faith and Reason

 

現代のポストモダン文化にあって、私たちは古代グノーシス主義の驚くべき復興を目の当たりにしています。

 

古のグノーシス主義者たちがこの名で呼ばれていたのは、彼らが、「自分たちは、より優れた種類の知識(ギ:gnosis)を持っている」と主張していたことに因ります。そして彼らは、自分たちのそういった知識が、新約聖書の使徒たちの内に見いだされる洞察さえも凌駕するものであると考え、主張していたのです。

 

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Gnostic Christianity(引用元

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ブログ内の用語説明・定義――相補主義と対等主義について

目次

  • 相補主義(Complementarianism)
    • 相補主義に立つ教団・教派の一例
    • 相補主義キリスト者の一例
  • 対等主義(Egalitarianism)
    • 対等主義に立つ教団・教派の一例
    • 対等主義キリスト者の一例
  • 「相補主義」と「対等主義」について――福音主義教会を二分する二つの視点
    • はじめに
    • ことの起こり
    • 両者の根本的な違い
    • ジェンダーの相違は、堕落前の「祝福」それとも堕落後の「呪い」?
    • 無理な解釈
    • まず初めに「神のことばありき」それとも、「イデオロギーありき」?
    • 役割における「違い」と「優劣」を混同してはいけない
    • かしら性(headship)について
    • おわりに
  • 「相補主義」と「対等主義」――三位一体論をめぐる両者の衝突 【ジェンダー問題】
    • このような批判が出される二つの理由
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ポスト近代と「セラピーの統治」(by アルバート・モーラー)


セラビーの統治(The Dominion of Therapy)

 

真理が否定された後には、セラピーが残る――。こうして決定的な問いが、「何が正しいのか?」から「何が私の気分を良くさせてくれるのか?」へと移行していきます。こういった文化的傾向は何世紀にも渡って発展してきたものですが、今やそれは最高潮に達しつつあります。

 

私たちの日々向き合う文化は、ほとんど完全に、フィリップ・ライフの言う「セラピーの凱旋」の征服下にあります。ポスト近代の世界では、すべての問題は結局、「自我」を中心に廻っています。

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心理学エピデミックとその治療――「クリスチャン・カウンセリング」のあり方を問う(by ジョン・F・マッカーサー)

目次

  • 「クリスチャン・カウンセリング」のあり方を問う
  • 関連記事

 

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John F. MacArthur, Jr, The Psychology Epidemic and Its Cureより抄訳

 

「クリスチャン・カウンセリング」のあり方を問う

 

今日使われている表現としての「キリスト教心理学」は、それ自体、矛盾語法(oxymoron)となっています。

 

心理学という語は、もはや心(精神)についての学を言及しておらず、根本的にヒューマニスティックな各種セラピー、あるいは諸理論の寄せ集めを描写するものとなっています。

 

諸前提や、大半の心理学教説は、キリスト教信仰にうまく統合することができません(PsychoHeresy 5-6)。それに加え、教会の教えの中に注入される心理学により、「行動修正」と「聖化」との間のラインがぼかされてきています

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イグナティオスによるローマ人への手紙【AD2世紀前半】第6章――死によって私はまことの命を得る

第1-5章はココ。7章はココ。8章-最終章はココ。                    

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この世のどんなものも、そして地上にあるあらゆる王国も、私にとっては何も意味しない。地の果てに到るまで全世界を統治するよりもむしろ、私はイエス・キリストにあって死ぬことを望みます。たとい全世界を手に入れても、自分自身のいのちを損じるのなら、そこに何の得があるでしょう?

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自己凝視ではなく、キリストを見上げたい。

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「自己を1回凝視する間に、キリストを10回見上げなさい。」ロバート・マクチェーン

 

民数記21:8,9

すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」

モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。

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