巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

イグナティオスによるローマ人への手紙【AD2世紀前半】第6章――死によって私はまことの命を得る

第1-5章はココ。7章はココ。8章-最終章はココ。                    

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この世のどんなものも、そして地上にあるあらゆる王国も、私にとっては何も意味しない。地の果てに到るまで全世界を統治するよりもむしろ、私はイエス・キリストにあって死ぬことを望みます。たとい全世界を手に入れても、自分自身のいのちを損じるのなら、そこに何の得があるでしょう?

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自己凝視ではなく、キリストを見上げたい。

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「自己を1回凝視する間に、キリストを10回見上げなさい。」ロバート・マクチェーン

 

民数記21:8,9

すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」

モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。

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ラディカル・レズビアンからキリスト者へ――ロザリア・バターフィールド女史(元シラキューズ大英文科教授)の救いの証し

 


昨日、ロザリア姉妹のインタビューを聞き、その中で語られている彼女の力強く、真実な証しに感動しました。一人一人の人生の旅路において、主がどのように魂に介入し、ご自身を啓示してくださるのか、私たちはそのくすしき御業にただ賛美と感謝をささげるのみです。

 

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Rosaria Champagne Butterfield, a former tenured professor of English and women’s studies at Syracuse University

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キリストの愛の力(イサク・ワッツの信仰詩)

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雅歌8:5-7、13、14

 

荒野から上って来る、

このひと――この苦悶のひとはだれでしょう?

悲しみと罪に押しつぶされ、

愛する主の胸に寄りかかっているひとは。

 

そうです。彼女はわれらが神、キリストの血潮によって

買い取られた花嫁です。

そして彼女の求め、嘆き――、

それは、すべての聖徒の声なのです。

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用語の「ひとり歩き」に注意したい

少し前に、伝統教会系のカルト化した某団体からやっとの思いで脱出することのできたある姉妹から連絡をいただきました。

 

実際に中に入ってみなければ分からない内部の実態や魂を監督する「牧者」からのメンバーに対する巧妙な心理的操作などに、なにかホラー映画を観ているような恐ろしさを感じると共に、その環境や縛りから、主の力強い御手によって、彼女が出エジプトを果たすことができたことに対し、私たちは主に感謝を捧げました。

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懐疑と絶望に苦しむ者への慰め――ウィリアム・クーパーの生涯と信仰詩

                          

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新生した信仰者が懐疑や不可知論の沼に陥ることはあるのでしょうか。他の人の心や思考のかたちは目に見えないので客観的なことは何も言えませんが、私個人に関して言えば、そうだと告白せざるを得ません。この状態に陥ると魂は、必死の抵抗にも関わらず、うす暗い淵へ底へと足を引っ張られていきます。ダビデが「泥沼」(詩40:2)と表したあの場所にです。

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キリストの栄光のからだ ③――見える一致への切望と努力(R・B・カイパー)

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R・B・カイパー著、山崎順治訳『聖書の教会観―キリストの栄光のからだ―』より抜粋

The Glorious Body of Christ: The Ideal of Visible Unity, by R. B. Kuiper (1886-1966)

 

目次

  • 現実的理想主義
  • 理想的現実主義

 

 

現実的理想主義

 

キリストの教会は、その内面的実在と同様に、理想的には外見的にも一つになるべきであるということは、否定できません。その意味で、初代教会に似るべきです。初代教会は、後の時代の教会の模範としての意義をもっています。

 

訳者註:当時のローマ社会も、初代教会クリスチャンの偽りのない兄弟愛に注目し、「見よ。彼らはなんと互いに愛し合っていることか!」と感嘆の声を挙げていたとテルトゥリアヌスは記しています。Tertullian, Apology, chapter 39.

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